高松教会 村上有子 マタイによる福音書4:18~22 漁師にとって、網は、漁師を漁師たらしめる物です。網を持たない漁師は魚を取ることができません。ですから、漁師が網を捨てるとは、漁師であることを捨てるということです。彼らは、なぜすぐに網を捨てて、イエス様に従うことが出来たのでしょう…
高松教会 村上貴志 ヨハネによる福音書 20章1~10節 「見て信じた」トマスの出来事ではありません。 「見て、絶望を味わった。確信した事」です。週の朝早く。安息日の明けた日曜日の朝。マリアとペトロたちは、墓で見たのです。そこに愛する方の、主イエスの亡き骸が無い事を。想定されていた、最…
高松教会 村上貴志 ヨハネによる福音書 19章1~7節 「罪をみいだせない」ピラトは、二度もそう語りました。ピラトにとっての「罪観」とは? 「罪」教会では、「神さまから離れる事」と、教えます。しかし、一般的には、「犯罪・法律・規則を破る事」だと、理解されています。ピラトは、どちらの「…
高松教会 村上貴志 ヨハネによる福音書 13章1~20節 ある教会の前を通ると、若い青年が「足を洗わせて下さい」と、教会に呼び込むと言うのです。私自身は、「洗足の木曜日か」と、思っていたのですが、 知らない人にとっては、不思議な出来事です。 彼は、聖書に記されている通りに、「弟子…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書 4章12~14節 私たちは「暗闇に住む民」であることを今日は覚えたいと思うのです。イザヤ書の預言が引用されているこの箇所は、クリスマス時期によく用いられる御言葉でもあります。イザヤが表現しているこの場所は、北の大国アッシリアに捕囚されていくイスラエル…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章9~11節 「信仰と行いの問題」に、向かい合っているヤコブの手紙。「その時代の現実とどう向かい合っているか?」と言う事かもしれません。 「身分の違い」 教会では、「神さまの前での平等・神さまは、等しく私たちをお造りになられた」と、教えるが、現実では、…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章1~8節 この手紙は、「信仰と行いの問題」について、主の兄弟ヤコブの名前で書き送くられた書簡です。これは、世に生きる者にとって現実的な問題であって、今の時代の私たちにも通じるものであります。 今も昔も、信仰をもったからといって、世の中から離れるわけ…
高松教会 村上貴志 テトスの手紙 3章12~15節 「信仰の友人たち」どんな人? 教会に集っている人たち。この信仰の友人たちの事を、私たちは、教会以外でどのように説明するのでしょうか?一緒にいて祈り合える。喜びも悲しみも分かち合える・担い合える。信仰的な共感がある。そう言う事でしょうか…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書4章1~11節 受験生の方々が苦境の中、試験を受けていることを覚えて、祈ります。受験生だけでなく、全ての人が何かしらの試みを受けていると思います。しかし、私は越えられない試みはないと信じています(Ⅰコリント10:13)。必要のない試みはない…と思います…
高松教会 村上貴志 テトスへの手紙 3章8~11節 「教会」とは、どんな場所なのでしょう?思いは異なる事でしょうが「今、教会に集う人にとって。どのような場所」なのでしょう? 考えていくと、全く逆の答えが出てきます。 例えば、熱心に願い求める人たちにとって、…。(ユダヤの人たちがそ…