マタイによる福音書8章5-17節 高松教会 村上有子 多くのことを語り、そして、語られたことを行われるイエス様。有言実行の主は、頼ってきた者たちを助けます。重い皮膚病に侵されて「汚れた者」とされてしまった者から、異邦人の百人隊長の部下、身近な弟子の姑、悪霊に憑かれた人々。みな癒されまし…
ルカによる福音書5章33-39節 高松教会 村上貴志 主の大いなる御業を見続けても、律法学者やパリサイ人たちは、ぶつぶつとつぶやきました。認めたくない。見ないふりをする。騒ぎ立てる。 残念ながら、判っていないのです。神の御子が、神さまが、共に居て下さっている事に。旧約…
マタイによる福音書8章1-4節 高松教会 村上有子 「らい病」という表現が改訂前の聖書にはあります。新しい版になり「重い皮膚病」という表現になりました。しかし、この「らい病」が採用された時から、私たちは一部の方々の存在を消してしまうほどの罪を犯して…
「 ルカによる福音書23章27-32節 高松教会 村上貴志 「神さまに愛されている・神さまと共に居る」そう思っていますか?確信しておられますか? 「徴税人」たちは、30節で、ファリサイ派や律法学者たちに言われるように「罪人」でありました。「イスラエルの神さまからの恵みを受け取る事…
マタイによる福音書7章24-29節 高松教会 村上有子 イエス様は「山上の説教」を語り終え、これらの言葉に対して「あなたは、どのように応答しますか?」という厳しい問いとも言える箇所です。「はい、わかりました」と答えることはできても、そのように行動できるかどうか、私たちは問…
「私たちの罪のため。十字架にかかったイエスさま」こどもさんびかの歌詞です。「罪」とは、神さまから離れた事。アダムとエバの時に。「私たち」とは? イエスさまは、誰のために、どのような人のために、十字架に架かって下さったのでしょう。罪人。【エゼキエル書33章・3章】「主は、悪人が救われる事を望ん…
ルカによる福音書22章54-62節 高松教会 村上貴志 ペトロは、十字架の直前まで、イエスさまに従います。そんなペトロに、主は「三度知らないと言うだろう」【22章34節】と、離反を予告します。 ペトロは、それを聞いて、激しく否定します。「牢に入っても死んでもよい」【22…
ルカによる福音書5章17-26節 高松教会 村上貴志 求める人たちに、「主の力」が、明らかにされました。「清くなれ」罪の赦しを宣言されていました。 そこに、男たちが中風を患っている男性を連れてきました。(この病も、神さまから離れた「罪」によって、もたらされる病気だと考えられてお…
マタイによる福音書7章13-23節 高松教会 村上有子 イエス様は「山上の説教」の締めくくり部分として「狭い門」と「広い門」を示しています。多くの人に命を与えたいと願っておられる主が、なぜ「広い」「入りやすい」「歩きやすい」門を用意してくださらなかったのしょうか?私も分かりません。聖書…
ルカによる福音書5章12-16節 高松教会 村上貴志 イエスさまは、全身重い皮膚病にかかった」人に出会いました。この人は、「御心ならば、わたしを清くする事がおできになります」(12節)と、願います。神殿で宣言される以上の事を願ったのです。 神殿でレビ記13章の規定に則って、この…