ルカによる福音書7章18-35節
高松教会 村上牧師
本日は、永眠者記念礼拝です。私たちの教会で、信仰を共に歩み、先に召された方々の事を覚えます。 この一年にも、数名の方を、神さまとイエスさまの元に送りました。そのことは、地上に残された者にとっては、大きな嘆き悲しみで有りますが、「神の元へ、キリストの元へ」という事を覚える時には、大切な導き。それも、召された方々の地上での最後のメッセージであったと思わされるのです。
家族・親戚・友人・知人たちに、「わたしは、神さまの元で、安らぎの時を、持っています。」そう伝えるために。最期の時を経ても、導かれたのです。
洗礼者ヨハネ。旧約聖書・マラキ書の3章の預言のように。「わが前に」道を備える。「我」は、神さま。神と一体であられる神の御子イエス・キリスト。 先を歩んだ人が、後に続く者に、「神の国よりの招き」を伝えるのです。永眠者記念礼拝で、洗礼者ヨハネの歩みについて、語った事は、ここに写真が飾られている方たちも、「同じ働きをされた!」と、言うことなのです。伝えたかった事は、伝えるべきであった言葉は、【22節】に記されている事。これは、「キリストの恵みが、満ち溢れました」ではなく、「全ての人が、この主の恵みを、経験する」という事なのです。先に信仰者となられた方だけが、それを知ったのではなく、恵みに与ったのではなく、全ての人が!家族・親戚・友人・知人の方々も、この大きな恵みに与っていると言う事を、伝えているのです。旧約聖書に記された、神の恵み・救いの御業・預言の歴史は、中断される事なく、今も、進行形なのです。【32節】の譬えのように。取り合わないのではなく、向き合ってほしい。「知らない人からのメッセージでは無い。あなたに愛を注いだ人の言葉を受け取って欲しい」ここにおられる方の「救いの御業」を伝える神の知恵の正しさなのです。