マタイによる福音書9章9-13節
高松教会 村上有子
人は「何かおかしい」と自覚して、医者にかかるのですが、なかなか病院に行かない人もおられると思います。①病気を認めたくない➁自分の体調管理を軽視している③医療に対して信頼がないなど、様々な理由があるかもしれませんが、「自分の中に癒されなければならない所がある」ことの自覚がないと言ってもよいのかもしれません。この時代にも「医者」はいました。そして、多くの人々を癒しておられたイエス様を「医者」のように求めてきた群衆が常にイエス様の周りにいました。そのような状況で、イエス様は、カファルナウムに戻って来られて、収税所に座っている徴税人マタイに目を留めます。この町は、交易が盛んであり、この地域を通るためには通行税を納めなければならなかったようです。イスラエルがローマ帝国の支配下になってからは、この徴税人たちは、異邦人の手下として、ユダヤ人から嫌われていました。異邦人と接触する者、またパリサイ派の者たちの行動規範に従わない者、仕事上それを守ることが出来ない者は「罪人」と差別されていました。宗教的には「汚れている者」とされて、関わりを持つことは憚られていたのです。しかし、マタイは、イエス様に声を掛けられ、喜びのあまり全てを捨てて、自分の家で宴会を催し、徴税人、罪人たちを招いて、イエス様と食事をしたのです。「医者を必要とするのは、丈夫な者ではなく病人である。」(12節)パリサイ派の人たちは、癒してもらう所などないと、確信していました。しかし、彼らは、ホセアの言葉を学び直さなければならない「病人」なのです。そして、私たちも一人残らず!イザヤ書53章は、イエス様のお姿を預言し、私たちの病を担ってくださったことがよくわかります。ぜひ、旧約聖書イザヤ書を開き、「赦された罪人」として、私たちのために、十字架にかかり、復活された主をほめ讃え続けましょう!