高松教会 村上有子伝道師 詩 編 103:1~22 詩編は、私たちに与えられた「祈りの学校」です。 苦しみの吐露や復讐の祈りに抵抗を感じられる方々もおられるかもしれません。詩編は奥深く祈りの本質を学べます。その中でも103編はダビデ詩編の横綱級の名編です。スポルジョンという有名…
高松教会 村上貴志 ルカによる福音書 2章8~21節 アドベントの第4週。クリスマス礼拝です。 主の御降誕を共にお祝いします。 四本目の蝋燭は、「ベツレヘム・愛」です。この町から、「大きな神の愛」が、人々に広がったのです。 このクリスマス。一番喜んでいるのは、誰…
アドベント。3本目の蝋燭が、灯されました。この蝋燭は、「羊飼い・喜び」です。「喜びます・祝います」救い主が来られる事。全ての人が願っております。罪ある人も。人が赦さない人も。 最近の報道。いじめ事件や各種のハラスメント、抑圧する者とされる者の事件が印象に残っています。 誰でも、被害者であり加…
高松教会 村上貴志 ルカによる福音書 17章11~19節 アドベント。二本目の蝋燭は、「御使い、平和」。 さて、この「平和」とは?心の平安?私たちは、見下す者を造って、心を抑えていないでしょうか? しかし、それが本当の心の魂の平安に繋がっているかというと、そうでは無…
高松教会 村上貴志 ルカによる福音書 11章37~54節 本日。一本目の蝋燭が灯されました。この蝋燭は、「預言・希望」を示す光です。主がお生まれになられた日を覚えて祝います。では、この救い主は、どのような人の為に、この地上に来られたのでしょうか?それは、「誰のために十字架に架かられたか…
高松教会 村上貴志 ルカによる福音書1章67~80節 ザカリアには、子が無かった。彼は、下級祭司であり、もう既に年を重ねておりました。夫婦の願いは、「子どもを与えて下さい」で有った事でしょう。 「神さまは、どのような事でもおできになる。アブラムに起こった出来事、100歳のアブラム…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書 5章27~32節 広辞苑には「姦淫」とは「不正な男女の交わり」とあります。「性」に対する感覚が麻痺している現代の有り様に、私たちは警戒しなければならないと思わされます。イエス様はここで「『十戒』を立派に守っています」という人々に「十戒」を正しく伝…
高松教会 村上貴志 コロサイの信徒への手紙 4章2~18節 「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(2節)もうすぐ、終末の時が訪れると考えておりました。「その時のために。十分に祈って、備えの時として冷静に今の時を冷静に過ごしなさい」そう進言するのです。ただ、「祈ったから、願った…
今の時代。この箇所。少しの時代ならまだしも、語りづらい時代です。この「夫たちよ・妻たちよ」という問いかけは、この箇所以外にも、エフェソ5章・第一ペトロ3章にも記されており、別に、批判する人たちが言うような人権抑圧の問題では有りません。むしろ、弱い立場の人たちを、守るように勧めているのです。【23節…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書 5章12~26節 十戒の1つに「殺してはならない」という命令があります。十戒を含む神様からの律法をイスラエルの人々は一生懸命守ろうとしました。しかし、本質を忘れて「守る」ことに一生懸命になり、勝手にルールを作り、そのルールを守れば自分たちは「十戒…