高松教会 村上有子 ルカによる福音書23章26~43節 今年のイースターは4月17日です。その前週が「受難週」となります。受難週なくして、イースターはありません。イエス様の十字架の死なくして、イースターの喜びはありません。昨今「イースター」という言葉は、知名度を上げてきました。コロナ禍…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 6章1~19節 罪の思い。神さまから離れた人の思いは、とてもおぞましい物です。ネヘミヤは、神さまを信じ、神の都エルサレムに、神殿に続き城壁を整備しようとしました。神さまから離れ、異国の神々に仕え、祝福を失ったイスラエルの悲しみを知っていたからです。そ…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 5章14~19節 「同胞への優しさ」それは、単なる親切では有りません。それは、神さまの定められた、セーフティーネット・律法の実践でも有りました。律法と言えば、「何か、制限をされたり」というイメージですが、本来は、神さまの愛を実践する為に、愛を享…
マタイによる福音書6章1~9節 高松教会 村上有子 この箇所も前章から続く「山上の説教」の一部です。イエス様が現在の私たちにも語り続けている説教です。善行が悪い訳ではありません。イエス様は、その行為の結果ではなく、その行為の目的、すなわち、その人の心を問うています。日常の活動、教会の…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 5章1~13節 エルサレムでの尊い奉仕。人々は税や飢饉に苦しみました。畑よりも城壁・奉仕を優先したからです。本来のイスラエルは、持つ者が、持たざる者に、分け与えた。なぜなら、それらは、全て、神さまからいただいた物だったからです。ヨブ記で誰しもが印象に残っ…
この数週間。世界は、争いの時を迎えております。多くの人が巻き込まれております。一日も早い平和的な解決を望みます。 さて、ネヘミヤが、エルサレムに城壁を再建しようとした時にも、国内で争いが起こりました。ですが、この城壁の再建は、エルサレムの人々にとって必要な事でした。原文では、「城壁の治療が進…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 3章33~38節村 神さまへの奉仕。どうして障害が現れるのでしょう? 一生懸命に、「主のために」その思いで励んでいるのに、周りの反対がある。そのような経験や思い。どなたにも、有ったと思います。 ネヘミヤの城壁建設に対しても、有力者の数名が、腹を立て…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 3章1~32節 礼拝の場所が、ここにある。万人祭司の思いを抱くプロテスタント教会にとって、一人ひとりが神の器であり、主と繋がる者。家庭であっても、職場であっても、病院や施設であっても、今、私たちと同じように、主と繋がり、祈りを捧げている。大事な事は、主…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書5章43~48節 「しかし、わたしは言っておく。」と、聴く者たちの常識を覆すようなことをイエス様は、また言われます。人々は、律法の専門家たちに「隣人=(イコール)ユダヤ人を愛し、敵=(イコール)ユダヤ人以外を憎め」と命じていました。律法学者たちは、…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 2章9~20節 「主の御用を行っている」その様な意識の有る中で、「見た感じは良くとも、内容・状況が悪い」という状況は、度々起こります。ネヘミヤには、王の書状と共に、護衛の兵もあった。(エズラには、無かった)「良い事ではないか。主の御用は、進んでいる…