アドベント。3本目の蝋燭が、灯されました。この蝋燭は、「羊飼い・喜び」です。「喜びます・祝います」救い主が来られる事。全ての人が願っております。罪ある人も。人が赦さない人も。
最近の報道。いじめ事件や各種のハラスメント、抑圧する者とされる者の事件が印象に残っています。 誰でも、被害者であり加害者でもある事は、分かっているのですが、遠い出来事。被害者で無ければ、関係ない出来事。加害者だと誰かに思われていても、気が付かない事。それが、現実かも知れません。
身近に起こったならば、私たちは、恐ら被害者の立場に同調して意見を述べます。同情や寄り添い。
では、加害者については? あまり良い思いは、抱きません。非難をしたり距離を置きます。離れて、悪口を言います。「罪人だ。罰せられば良い。」
彼らは、悪人は、神さまから離れている。それは、間違いない事でしょう。だからと言って、悪人が、神さまを求めていないかと言えば、必ずしもそうでは無い。【ルカ3:12・7:29・15:1・18:13】
彼らも、神さまの事は、求めている。
ルカ18章の結末。【18:14】人々は、悪人・罪人を避けるが、イエスさまは、その人たちと共に居られるために。「このような人たちのために、この地上に来られたのです。」人が、相応しくないと思っても、イエスさまだけが、「あなたの所に」と、言われた。「ザアカイは、急いで降りて来て、喜んでイエスさまを迎えた。(6節)」孤独なザアカイにとって、初めての友かもしれません。その友は、人に呟かれた。ザアカイは、告白した。罪を。赦しを願った。それは、イエスさまが、神の御子であることがわかったから。私を探して、ここに来て下さった。【ルカ15章】
「このような人たちのために」イエスさまは、この地上にお生まれになられたのです。