高松教会 村上有子 コリントⅡ 6章1節~10節村 「今」を皆さんはどのように捉えておられるでしょうか? 「今」という時代を客観的に見るためには、やはり、聖書に戻ることであると、私は確信しています。二千年以上前の出来事が、今も生き生きと続く現在進行形の書物です。旧約聖書の記述が、今の…
ネヘミヤ記 7章60節~8章1節 高松教会 村上貴志 ネヘミヤの願いが適いました。城壁の完成によってエルサレムの平安が訪れたのです。人々が、捕囚から帰還し、戦火より復興し、元の暮らしを取り戻そうと動き始めたのです。リストにあるのは、2千を超す一族。五十名余りの一族。大も小も変わるこ…
コリントの信徒への手紙Ⅱ5章16~21節 高松教会 村上有子 本日は、コリントの信徒への手紙Ⅱから、主の御声を聞かせて頂きたいと思います。 コリントの信徒たちの教会は、パウロの伝道旅行の実です。まだイエス様を信じて間もない信徒たちを案じて、パウロは、諸地域に興された若い教会を再訪…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記7章1~7節 ネヘミヤの願い。神さまに願い、王を通して与えられた願い。エルサレムの平安。人々が、戦火より復興し、捕囚から帰還し、元の暮らしを取り戻す。 城壁ができて、門が取り付けられた事によって、万事OKだったのでしょうか?ネヘミヤは、城壁の完成によ…
高松教会 村上貴志 ルカによる福音書 24章1~12節 「罪の赦し」これは、どのような事なのでしょう。 「受難週の聖書の中」で、ピラトは、「罪」を、「犯罪」として捉えました。しかし、ユダヤ人たちは、「神さまへの背き」と考えました。律法や掟を守らない事。故に、人々は、正しく…
高松教会 村上有子 ルカによる福音書23章26~43節 今年のイースターは4月17日です。その前週が「受難週」となります。受難週なくして、イースターはありません。イエス様の十字架の死なくして、イースターの喜びはありません。昨今「イースター」という言葉は、知名度を上げてきました。コロナ禍…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 6章1~19節 罪の思い。神さまから離れた人の思いは、とてもおぞましい物です。ネヘミヤは、神さまを信じ、神の都エルサレムに、神殿に続き城壁を整備しようとしました。神さまから離れ、異国の神々に仕え、祝福を失ったイスラエルの悲しみを知っていたからです。そ…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 5章14~19節 「同胞への優しさ」それは、単なる親切では有りません。それは、神さまの定められた、セーフティーネット・律法の実践でも有りました。律法と言えば、「何か、制限をされたり」というイメージですが、本来は、神さまの愛を実践する為に、愛を享…
マタイによる福音書6章1~9節 高松教会 村上有子 この箇所も前章から続く「山上の説教」の一部です。イエス様が現在の私たちにも語り続けている説教です。善行が悪い訳ではありません。イエス様は、その行為の結果ではなく、その行為の目的、すなわち、その人の心を問うています。日常の活動、教会の…
高松教会 村上貴志 ネヘミヤ記 5章1~13節 エルサレムでの尊い奉仕。人々は税や飢饉に苦しみました。畑よりも城壁・奉仕を優先したからです。本来のイスラエルは、持つ者が、持たざる者に、分け与えた。なぜなら、それらは、全て、神さまからいただいた物だったからです。ヨブ記で誰しもが印象に残っ…