高松教会 村上有子 マタイによる福音書5:1~12 イエス様を信じていることで「迫害」に遭ったことはありますか?いろんな場面でペトロやパウロのような激しい迫害はないかもしれませんが、本当にイエス様を信じ、イエス様のものとなったキリスト者は「迫害」にあいます。なぜならば「人々がわたしを…
高松教会 村上貴志 コロサイの信徒への手紙 1章1~8節 異邦人の信仰者のコロサイ教会。パウロは、この教会について、知れば知る程、驚きを持ったのだと思います。誰が伝道をしたのか?使徒たちでは無い。 無割礼のキリスト者・エパフロスが、信仰の指導者として、福音を伝えたのです。…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 5章7~20節 7節には、「主が来られるときまで忍耐しなさい。」と、記されております。では、いつ来られるのでしょうか?この時代の信仰に生きた人たちは、「間もなく」という希望と期待を持っていたのです。しかし、「間もなく?」そう言われても、周り…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書 5章1~12節 人の幸せの形はいろいろです。そして人はその幸いを手にして、更にそれが続くことを願い、また更に次なる幸いを求めるものです。人は幸せになりたいのです。イエス様が私たち教えておられる「幸い」は、今生きている世界の価値観からすると、真逆のよ…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 5章 1~6節 世の中には、「持つ者」と「持たない者」の二者が存在すると言われています。 その通りで有ります。 人間は、一人ひとりが異なる姿を持つだけで無く、能力・賜物・努力していく力・継続していく力・忍耐していく力・戦う物理的心理的な力・受け入…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 4章13~16節 高松教会は、7月7日が創立記念日で、今年で114年を迎えます。今治組合教会の横井牧師が、高松に伝道開始されてからは、136年となります。会衆派・メソジスト・長老派の合同教会は、キリストを頭とする一つの教会とされた世のし…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 4章1~10節 争いの原因。「人の欲望が、原因」とされています。そうでも有り、そうでも無い。「神さま、どうして」 異なったり平等で無かったりするのですか? 同じ方が、心配しなくて良く安心できるのに、…。でも、その世界で、…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 4章11~12節 「不平」や「不満」無い人は、恐らくおりません。 それを、跳ね除けるためには、不満をぶちまける! 相手を中傷する!最も手っ取り早い方法です。 徹底的に。自分が勝つために。相手は、実際の家族であったり、神の家族であ…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書5:1~12 聖書を開いたことのない人でも、一度は聞いたことがある、そのような聖句がたくさん含まれている「山上の説教」。それゆえに、いろんな形で解釈され、聖句が独り歩きしてしまいやすい箇所でもあります。5章から7章が「山上の説教」「山上の…
高松教会 村上 貴志 ヤコブの手紙 3章13~18節 人の姿を炙り出す「裁き」について先週お話をいたしました。罰が与えられるのではなく、真実の姿がさらけ出される事。「神さまの前におらせていただいている」と、思っている自分に、本当の姿が知らされる事。「お前は、神さまから離れて…