高松教会 村上有子
マタイによる福音書5:1~12
イエス様を信じた者は、変わっていきます。イエス様に似た者となるのです。ですから以前の人間関係も変わります。その時、家族との関係も変わっていくのです。誰もののしられて、圧力的な攻撃を受けて嬉しい人はいません。しかし「義のために」「イエス様のために」迫害を受ける者は幸いなのです。迫害をあえて招くようなことをキリスト者はしません。慎ましく、この世を蛇のようにさとく、鳩のように素直に生きていくのです。そして、光であるイエス様のように、光として歩んでいかなければかりません。光として歩む時、迫害が起こるのです。
人はなぜイエス様を迫害したか、それは、自分の心の内にある闇を認めたくない人にとって光(イエス様)は煙たい存在だからです。それゆえに、人々はイエス様を十字架にまで付けてしまったのです。本物のキリスト者は迫害されます。そしてそのことを通して、真の信仰者であり、神の子であり、天に国籍を持つ者であるということを確証されます。そのことを喜ぶのです。迫害の中にいる教会に宛てたペトロの手紙を読みましょう。(Ⅰペトロ2:11~24)
イエス様のお姿を心の目でしっかりと見続けていきましょう。あふれんばかりの喜びをまだ知らない方々に真の幸い、真の喜びを知って頂けるよう祈りましょう!