高松教会 村上貴志 ヨハネによる福音書 13章1~20節 ある教会の前を通ると、若い青年が「足を洗わせて下さい」と、教会に呼び込むと言うのです。私自身は、「洗足の木曜日か」と、思っていたのですが、 知らない人にとっては、不思議な出来事です。 彼は、聖書に記されている通りに、「弟子…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書 4章12~14節 私たちは「暗闇に住む民」であることを今日は覚えたいと思うのです。イザヤ書の預言が引用されているこの箇所は、クリスマス時期によく用いられる御言葉でもあります。イザヤが表現しているこの場所は、北の大国アッシリアに捕囚されていくイスラエル…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章9~11節 「信仰と行いの問題」に、向かい合っているヤコブの手紙。「その時代の現実とどう向かい合っているか?」と言う事かもしれません。 「身分の違い」 教会では、「神さまの前での平等・神さまは、等しく私たちをお造りになられた」と、教えるが、現実では、…
高松教会 村上貴志 ヤコブの手紙 1章1~8節 この手紙は、「信仰と行いの問題」について、主の兄弟ヤコブの名前で書き送くられた書簡です。これは、世に生きる者にとって現実的な問題であって、今の時代の私たちにも通じるものであります。 今も昔も、信仰をもったからといって、世の中から離れるわけ…
高松教会 村上貴志 テトスの手紙 3章12~15節 「信仰の友人たち」どんな人? 教会に集っている人たち。この信仰の友人たちの事を、私たちは、教会以外でどのように説明するのでしょうか?一緒にいて祈り合える。喜びも悲しみも分かち合える・担い合える。信仰的な共感がある。そう言う事でしょうか…
高松教会 村上有子 マタイによる福音書4章1~11節 受験生の方々が苦境の中、試験を受けていることを覚えて、祈ります。受験生だけでなく、全ての人が何かしらの試みを受けていると思います。しかし、私は越えられない試みはないと信じています(Ⅰコリント10:13)。必要のない試みはない…と思います…
高松教会 村上貴志 テトスへの手紙 3章8~11節 「教会」とは、どんな場所なのでしょう?思いは異なる事でしょうが「今、教会に集う人にとって。どのような場所」なのでしょう? 考えていくと、全く逆の答えが出てきます。 例えば、熱心に願い求める人たちにとって、…。(ユダヤの人たちがそ…
高松教会 村上貴志 テトスへの手紙 3章1~7節 「洗礼によって・洗礼を受ける」とは、どのような事を指すのでしょう。新約聖書には、二つの洗礼が記されております。一つは、ヨハネによる「水の洗礼」今までの歩みを悔い改めて、神さまに目を向ける事です。洗礼者ヨハネは、「悔い改めよ。天の国は近づ…
高松教会 村上貴志 テトスへの手紙 2章1~15節 節制しろ。品位と分別を保て。忍耐せよ。噂話するな。大酒飲むな。短慮になるな。反抗するな。 あれしちゃダメ。これしちゃダメ。そんな事を、言っているのでしょうか?いいえ、違います。世に生きる、「他者を見つめる自分の内面」を見て下さい。ちゃん…
高松教会 村上有子伝道師 マタイによる福音書3章13~17節 「洗礼」という言葉をテレビのバラエティー番組やドラマで以外に聞くことが多いように思います。ぼんやりとしたキリスト教のイメージから来る表現なのでしょうか。正しくは洗礼を受けた私たちが知っているはずです。しかし、あえて質問します…