高松教会 村上貴志
コロサイの信徒への手紙 1章1~8節
異邦人の信仰者のコロサイ教会。パウロは、この教会について、知れば知る程、驚きを持ったのだと思います。誰が伝道をしたのか?使徒たちでは無い。
無割礼のキリスト者・エパフロスが、信仰の指導者として、福音を伝えたのです。エルサレム教会は、種を蒔いていない。そこに教会が出来ていたのです。
【2節】は、まさに驚きと共に、エルサレムが今まで祝福していなかった事に対する悔い改めと人の知る事が出来ない神さまの御計画の豊かさを言い表した言葉かもしれません。エルサレム教会は、人は、異邦人伝道・無割礼の人への洗礼を認めていない。【マタイ15章】を思い出すと、異邦人への救いは、後退している。しかし、人の思いが小さくなっていても、神さまの思いは、小さくなることは、無い。
誰も種を蒔かないのであるならば、風(聖霊の導き)が種を運んでいく。隠されていた喜びの場所も、「変わらぬ恵みと平和が、神さまから与えられている事を、信じています」と、祝福したのです。
そして、この喜びを、教会の知らない所で養って下さった神さまに感謝をします。「全ての人の為に・私たちに繋がる方々の救いのために」そう祈りながらも、その歩みは、進み切ってはいない。地の果てまで、私たちの関係する方々の全てにまでは、届いていない。人の持つこの忸怩たる思い。
神さまが、主イエス・キリストに繋いで下さっている。そう感謝するのです。
イエスさまが、神さまに願われて、私たちに伝えて下さる神の愛。知っていただきたいことは、聖霊に満たされたこの小さな者の働き。無割礼の異邦人エパフラスの語る福音が信仰者の群れを形成していったように、今、この地上にいる、小さな私の言葉が、「愛について、聞いた」私の言葉が、霊の実を結び、神の愛を・キリストの愛を、伝えていくのです。