マルコによる福音書 16章14-18節
高松教会 村上貴志
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と言われても、神さまからの御旨を測る事は、とても難しいことです。
どうしてそう思うのかというと、マタイ10:34-39やヨハネ4:44などの言葉が、引っかかっているからかもしれません。
救いを願う思いが届かない。(残念)
なぜ、イエスさまは、「全ての人に」と、我々にお命じになられたのでしょうか?
どうして、イエスさまが、直接声を掛けて下さらないのだろうでしょうか。
しかし、(思い・言葉の)剣で傷つけあったしまった故に、
そこに主の癒しの業が現れるのです。その剣こそが、世の思いと人を切り離す業なのです。
私たちからの福音・救われた喜びを伝える事から、始まっているのです。
もし、何の前触れも無く、聖書が一冊置かれても、伝わる事は無いのです。
神さまの御旨が。キリストのお働きが、私たちという不完全で、不信仰に見える人が用いられると、虚ろなものに、相手の目に映るかもしれません。
しかし、どのような形であれ、救い主の御姿を見た人は、主の御業に与るのです。
まことの主に出会った時には、直ちにその虚ろな目が開かれるのです。
自分を傷つけ、相手を傷つけ、平和では無く剣を。
私たちも、十字架を背負って、その道を歩むのです。その覚悟を持って、歩むのです。力無い者が。
でも、思い出して下さい。数千人を養われた命のパンは、私たちの内にも与えられているのです。
分けても分けても、無くならない救いの福音が。
モーセのマナ。エリヤのパン。律法と預言は、キリストの「無くなる事の無い命のパン」に繋がっているのです。
神さまの御旨が、イエスさまの救いの御業による永遠の命を指し示しているのです。
私を通して広げられる、良き知らせ・福音も、…。無くなることは無いのです。