使徒言行録2章1~13節 高松教会 村上貴志 今日の礼拝は、ペンテコステの礼拝です。 元々は、イスラエルの3大祭りの内の第二の祭りです。 イスラエルにおいては、シナイにおいて十戒の与えられた記念日として、出エジプト記19章20章を朗読し、子供たちが、堅信礼を迎える日。 神さまか…
ヨハネよる福音書 9章1~12節 高松教会 村上 貴志 今日の聖書のお話。「イエスさまが、目の不自由な人を癒されるお話」です。 この人は、どうして、目が悪かったのでしょうか? 医者のいない時代、原因は、誰も判断できませんでした。何か人間に、原因が有るのかも知れないとも思いました。 …
ヨハネよる福音書 8章48~59節 高松教会 村上 貴志 イエスさまとユダヤ人たちの論争。 その理由の一つが、ユダヤ人自身の信仰の位置で有ります。 「信仰にランクが有るのかどうか?順位が有るのかどうか?」と、問われますと、有りません。 有るのは、「信じるか、信じないか」です。 …
ヨハネよる福音書 8章39~47節 高松教会 村上貴志 聖書の歴史の中では、異なる思いを抱いている人たちは、度々、集い、論争しております。 今回の論争は、「神から聞いた真理」についてです。 神さまから、聞いたことなのでそれは、同じではないかと思うのですが、なんと、異なっているようです…
ヨハネよる福音書 8章31~38節 高松教会 村上貴志 「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」 イエスさまは、御自身を信じたユダヤ人たちに言われています。留まらない人たち。 しかし、良く読むと「信じた」とも、記されています。 一度は、信じているの…
ヨハネよる福音書 8章21~30節 高松教会 村上貴志 「わたしはある」は、出エジプト記3章に出て来る言葉です。 モーセが、「神さまから」召しを受け、どのように人々に伝えれば良いのかをお尋ねした時、『わたしはある』と言うお名前を教えていただいたのです。 神さまが、人の前にその姿を現さ…
ヨハネよる福音書 8章12~20節 高松教会 村上貴志 今日は、「わたしと共にいてくださる」。 聖書の箇所は、マタイによる福音書とヨハネによる福音書と異なっているのですが、非常に似た、説教題となっています。 イエスさまを起点として、先週は、「わたし(イエスさま)は、いつもあなたがた…
マタイによる福音書 28章1~20節 高松教会 村上貴志 明け方に二人のマリアは、墓に急いで見に行きました。 二つの心配事が有りました。番兵がいること。お墓の大きな石を取り除く事。 その障害を取り除くという心配事は、いとも簡単に神さまの使いにより解決されました。 天地がゆれる大…
ヨハネによる福音書 7章53~8章11節 高松教会 村上貴志 イエスさまの語られていた事。 実は、律法学者やファリサイ派の人たちが語っている事と、あまり変わりのない事でした。 神さまからいただいた約束・律法の話をされていたのです。 同じ話が、神殿の境内で聞こえたのに、…。人々は…
ヨハネによる福音書 7章40~52節 高松教会 村上貴志 イエスさまの時代の人々は、まだ、十字架の救いを知りませんでした。 また、旧約聖書には、その救いの計画についておぼろげには記されていたのですが、はっきりとした形を見たわけでは有りませんでした。 神さまと人との間を執り成す十字架の…