ヨハネ書 13章12~20節 高松教会 村上貴志 足を洗う事。 「仕える者としてかがむ事」は難しくは有りません。 膝が汚れることも、気になりません。 しかし、足元の前にかがみ込む事。 その人は、…。私にとって、今の今まで受け入れていなかった人。敵対していた人でした。 …
ヨハネ書 13章1~11節 高松教会 村上貴志 イエスさまは、先生で有りながら、弟子たち一人一人の足を洗われました。 ペトロは、皆を代表して、イエスさまに尋ねました。 「どうして、先生が弟子たちの足を洗うのでしょうか?それは、私たちの仕事ではないでしょうか?それとも『仕える者』とし…
ヨハネによる福音書 12章44~50節 高松教会 村上貴志 今日は、永眠者記念礼拝を皆さんと共に、守っています。 信仰を持って先に、天に召された兄弟姉妹がたを思い出し、その方々が、私たちに伝えて下さった事を、もう一度、心の中に思い浮かべ、思いを一つに現す日でもあります。 「わたしを信…
ヨハネによる福音書 12章36b~43節 高松教会 村上貴志 神さまから召された預言者イザヤは、語りました。 「主よ、だれがわたしたちの知らせを信じましたか。主の御腕は、だれに示されましたか。」イザヤ書53章1節の引用です。 信じた人たちは、「イエスさまが行った多くのしるしを通してさ…
ヨハネ書 12章27~36a節 高松教会 村上貴志 「光のあるうちに歩きなさい」というイエスさまの勧め。 「光は、無くなってしまう」と言うのでしょうか? では、そのタイムリミットまでに、私たちは、どうすれば良いのでしょうか? イエスさまは、「光の子となるために、光を信じなさい」…
ルカによる福音書 13章1~9節 香川教会牧師 隅野 瞳 悲惨な出来事に遭う人が特に罪深いのではない。 全ての人に悔い改めが必要であることを知るようにと、主は語られました。 悔い改めとは、罪を自覚し、罪を悲しみ、主に向き直って生きる者となる事です。 主はた…
ヨハネによる福音書 12章20~26節 高松教会 村上貴志 律法によると、ユダヤ人と異邦人との交際は、禁じられておりました。 ですから、イエスさまに会いに来たギリシャ人たちは、イエスさまの元に辿りつくのが困難でした。 ですが、彼らは、会いたかったのです。聞きたかったのです。 …
ヨハネによる福音書 12章12~19節 高松教会 村上貴志 「安らか」と言う言葉。 「穏やかに・成し遂げられた」というような意味で使われます。 『イエスさまは安らかにエルサレムに入城なされた』ラザロの甦りのできごとを知った群衆は、死の世界より甦らせた出来事が神さまからの正統な力を持っ…
ヨハネ書 12章1~11節 高松教会 村上貴志 過越しの祭り。 ヨハネによる福音書では、イエスさまの活動が大きく転機を迎えた時に、人の姿も、大きく変えられた事を伝えます。 ラザロは、死の世界からイエスさまによって、呼び戻されていました。 どのような罪のためであったのでしょうか?…
エフェソの信徒への手紙2章1-10節 坂出大浜教会 今井靖清牧師 私たちは生まれながらにして、罪人であり、神の怒りを受けるべき者であった。 神は罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かすことをされた。 これは一方的な神の恵み。 賜物であるとパウロは語る。 この賜物を得たら…