ヨハネによる福音書 17章6~19節 高松教会 村上貴志 創世記最初の出来事。 アダムの、カインの神よりの祝福を離れる選択。 それは、「礼拝」以外の事を、最も必要な事としたということです。 「善悪・自由」を手にする代わりに、平安を手放してしまったのです。 そして、その子孫…
ヨハネによる福音書 17章1~5節 高松教会 村上貴志 教会の中では、時に、人の栄誉が語られる事が有ります。 「キリストと共に」そう告白しながら、「誰かに。人に従っている」状況が現れます。 それは、キリストの姿が、見えなくなってしまっていると言う事でしょうか? 見えない故に、見…
ヨハネによる福音書 16章25~33節 高松教会 村上貴志 「主の約束」を見続けているはずの弟子たちは、無理解故に、まるで、「バベルの塔」の出来事のように、様々な思いに分けられ、一致する事が困難となったのです。 それは、主の集いにとっては、「妨げ」となる出来事であり、「重荷」であるとも、感…
ヨハネによる福音書 16章16~24節 高松教会 村上貴志 キリストが十字架に自らを献げる直前に、弟子たちへ語られた言葉。 「決別説教」と呼ばれています。 間もなくイエスさまは、十字架への道を進まれる。 弟子たちは、「イエスさまが、どうしてそうされるのか」を、聞くのです。 …
ヨハネによる福音書 16章1~15節 高松教会 村上貴志 今日の聖書の箇所には、まもなく十字架の道へと進まれるイエスさまとの別れを畏れる弟子たちの姿を通して、ユダヤ教の神殿から離され迫害されたヨハネの教会の兄弟姉妹たちへの励ましの言葉が記されております。 キリスト教会は主の道を進むことによ…
ヨハネによる福音書15章18~27節 村上貴志 神さまが遣わされた救い主による良き業「十字架の福音」を宣べ伝えようとする人が迫害される。 それは、神の民の共同体、イスラエル・エルサレムの出来事です。 それは、神さまから、遠く離れるような行為です。 神さまは、この「救い主を受け…
ヨハネによる福音書15章11~17節 高松教会 村上貴志 イエスさまは、「あなたがたが出かけて行って実を結びなさい」と、命じられました。 主は、弟子たちを御自分の愛の中に置くことによって、その不安・心配・苦痛を取り除かれたように、弟子たちも、「同じように、弱い人たちに寄…
イザヤ書 58章1~2節 高松教会 村上貴志 主の年2017年となりました。明けましておめでとうございます。 さて、教会では、何がおめでたいのでしょうか? 暦のことでしょうか? 「新生」年が、改まる事を覚え、私たちも悔い改めの思いを持つこと。 そして、「罪ゆるされた日を覚えて、…
イザヤ書 57章14~19節 高松教会 村上貴志 礼拝堂の蝋燭も5本灯され、待ちに待ったクリスマス礼拝を、迎える事が出来ました。感謝です。 今日の聖書の箇所は、信仰の課題について語られております。 イスラエル(神さまが、励まれ・統治される神の国)は、神さまを見失い、神さまに委ねる事を…
イザヤ書 56章1~8節 高松教会 村上貴志 聖書には、「異邦人の救い」と記されています。 この言葉を、「イスラエル民族以外」という風にとらえると、「私たちの救い」という預言にも聞こえます。 「この約束は、果たされた!」既に成就したことを知っているのです。 ですが、「異邦人」を…