イザヤ書 58章1~2節
高松教会 村上貴志
主の年2017年となりました。明けましておめでとうございます。
さて、教会では、何がおめでたいのでしょうか? 暦のことでしょうか?
「新生」年が、改まる事を覚え、私たちも悔い改めの思いを持つこと。
そして、「罪ゆるされた日を覚えて、新しく与えられた命・歩みを喜んで、…。それを、記念して」この思いが、喜びの出来事なのかもしれません。
「新しい命をいただいた受洗の日の喜びを思い出して。おめでとうございます。」
「悔い改めて、福音を信ぜよ」この言葉を、思い出して、心の中を・思いを整理すること。
信仰を確かめ、赦されて、主の方へと向き直す事が出来る事が、幸いだと思うのです。
今日の聖書の箇所でも、その事についてイザヤは、叫んでいるのです。
イスラエルに対して、「本当の断食を、しているのか!」と、糾弾します。
「本当の断食」とは、まことに神さまに従う道を求める事だと。
形式的に、「日の出から日没の間まで、口にしない」では、無いのです。
「定まった事だから、みんなに合せて。私の都合の範囲で、…」では、無いのです。
その時には、「神の国が来ますように! 社会的な弱者や、声の小さな人たちの事を覚えて、『御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ』と、真剣に願う事」なのです。
神さまの声に気づいた人たちに、
「黙すな、声をあげよ。角笛のように」と求めます。
「角笛のように!」イザヤは、…。神さまは、…。 その響き(声)を、あなたの後ろにいる人たちに。」
そこには、この喜びをまだ知らない人たちがおります。
キリストに倣い、手を広げて、その人たちを受け入れ、共に歩む。
「主よ、御国を来たらせたまえ」そう、角笛を通して、後に備える人たちに伝えて。
「あなたが、先頭だ!自信を持て!」イザヤの励ましでも有ります。