高松教会 村上有子
マタイによる福音書6章5~15節
「こころの友」を用いて、福音を伝える文書伝道を高松教会では行っています。奉仕者は、お顔が分からなくとも、信徒の家族、友人知人、遠方の信徒家族などに、祈りをもって毎月送付しています。
10月29日に召された多田みずりさんは、その「こころの友」をいつからかは分かりませんが、楽しみにしてくださっていた意図理です。葬儀式をさせて頂きましたが、息子さんのお話で、更なる多田姉のイエス様への信仰を垣間見た気が致しました。信仰告白を私たちは聞くことは叶いませんでしたが、主の深い憐れみに委ねることが出来ました。葬儀式において、2日とも、遺族とともに「主の祈り」を祈りました。今はお題目のように読んでいるだけであっても、きっと多田みずりさんが祈っていた祈りを考える機会が与えられますようと祈りました。
その「こころの友」今年4月から「主の祈り」に関して、毎月解り易いコラムが掲載されています。丁寧に1行ずつ、優しいあたたかいメッセージがあり、11月号もまだ続いています。是非、お読みになりたい方は、バックナンバーはございますので、お知らせください。
「主の祈り」私にとっては、「主への信仰を問われる祈り」であり、「自分がどれほど神様を理解していないかを知祈り」「神様からなはれていることに気付かせられる祈り」であることを、今回の説教の備えの中で気づかせて頂きました。「神を父とする『神の子』としての自覚のなさ」、「御心に適わない現状に何の違和感も持たない無関心」、「糧への感謝のなさ」、「御言葉の枯渇に気付かない鈍感」など。厳しく問われる程、主の愛の深さと熱を知ることが出来ました。これからも「主の祈り」を通して、さらに、祈りを深めていきたい、皆さんとともに。