詩編96篇 1~13節 高松教会 村上貴志 本日は、ルターの宗教改革500年の記念礼拝。また、パイプオルガンの奉献礼拝の日でもあります。いくつもの区切りを迎えて、「新しい歌を主に向かって歌いたい」と、願っております。 詩編96篇には、歴代誌上16章・サムエル記下6章に記されている「ダビデが…
ヨハネⅠ 2章28~3章10節 高松教会 村上貴志 今日は、CS野外学校の予定でしたが台風で中止となりました。中には「残念だ。神さまは、私たちの楽しみにしている心の中を見て下さっているのだろうか?」そう思う子どももいると思います。ですが一方、この冬の水不足を思い、雨を喜ばれる大人もおられます。神…
ヨハネⅠ 2章18~27節 高松教会 村上貴志 「反キリスト」とは、イエスさまの代わりに「救いの業を成就する」と公言する人たちの事です。神さまの御意志と異なる思いです。その一派が終わりの時。神さまが全てを御判断される時に、「明らかにされる」と言うのです。終わりの時に今までは、潜伏していた者が選別…
ヨハネⅠ 2章1~17節 高松教会 村上貴志 ヨハネの手紙は、「罪」と言う事について、「もう一度、考え直して欲しい・深く知って欲しい」と、書き送ります。教会が語る「罪」とは、勿論、地上における(法と人との約束事の)罪で有りません。それは、私たちの事を愛して下さっている神さまから「思いを遠ざけて…
ヨハネの手紙Ⅰ 1章1~10節 高松教会 村上貴志 ヨハネの教会には、偽教師たちや霊的熱狂主義者たちが入りこみ、信仰的な未熟さを元にした混乱がありました。それらは、自身の行動によって「罪からの清め」が与えられると思った事。自分と神さまとの直接的な繋がりを求め、実現したと説いたのです。だから、そこ…
ペテロの手紙Ⅱ 2章1~21節 高松教会 村上貴志 偽教師たちは、反面教師?私たちが、そうならないために現れたのかもしれません。「私たちの、罪赦された者としての歩み」は、犬や豚と同じです。思いと異なっていれば、短絡的に相手を罵ったり、批判したり。そこに神の愛は、存在していません。 愛をもっ…
ペテロの手紙Ⅱ 3章1~18節 高松教会 村上貴志 本日は、永眠者記念礼拝です。先に天に召された、今、神さまとイエスさまと共に、私たちを見守って下さっている方々、祈りによる・信仰による生きた証で、私たちの歩む道を光で照らして下さった方々、そして、私たちをその信仰によって、主と共に導いてくださっ…
ペテロの手紙Ⅱ 1章16~21節 高松教会 村上貴志 信仰者は、み言葉によって変えられるのでありますが、変わった姿に注目するのではなく、その人を変えた御言葉に注目するように教えます。人を尊敬するのではなく、いつも神様の救いの現れであるイエスさ まを、仰ぎ見続けるように教えたのです。 …
サムエル記上1章1~20節 高松教会 村上貴志 今日は、花の日・母の日のCS合同礼拝です。 エルカナには、ハンナとペニナという妻がおりました。 ハンナには子が無く、ペニナには男子が与えられていました。 一家は、年に一度、主に感謝し、祭儀と礼拝を捧げ、感謝の食事をとりました。 …
ヨハネによる福音書21章15~19節 高松教会 村上貴志 イエスさまは、ペトロに三度も、尋ねられます。 「愛しているか」と。 主を裏切った者は、問いかけられても、「愛しております。愛し続けております。」と、自ら告白する事が出来ませんでした。 愚かさと罪を知っている故に、心の中に…