ヨハネよる福音書 10章7~21節
高松教会 村上貴志
「はっきり言っておく」イエスさまは、もう一つ、大切な事を伝えます。「わたしは羊の門である」
イエスさまは、「囲い」神さまから離れた人たちが、集まっている所に来られました。
そこに、導く声がしました。
新しく神さまとの交わりの生活の場所に行くには、一つの場所を通る必要が有りました。
「神さまとの交わりの回復」人が、どんなに努力しても、開かれなかった門を、イエスさまが開かれたのです。
その門を通らなければ、神さまの元に行くことは、出来ないのです。
新しい約束によって、解き放たれた歩みを進めていくのです。
神さまを知らないと言う罪の世界から、神さまとの祈り・交わりが回復された世界へ導かれたのです。
その時に、イエス・キリストという門を、人は通ります。
イエスさまは、人に「罪よりの自由」を与えて下さったのです。
ただ、「自由」と、言われても、良く理解できません。
「自由」とはどういうことでしょうか?
英語で「自由=Free」の中には、「0、無い」という意味が有ります。
イエスさまが、私にして下さった事「交わりの回復。
そのための罪よりの自由・罪を0にして下さる」ということ。
「神さまが、その贖いの業を、御認めになられたので、罪赦された」ということなのです。
「罪赦された」生活こそ、自由な歩みなのです神さまの恵みと祝福の中を歩む事を、再び赦されて、生き生きと歩みを進めることのできる喜びが与えられたと言うのです。
イエスさまの開かれた門を、私たちが通る時には、私たちの心の門も開かれます。
神さまの恵みを見失い頑なに閉じこめ固く鍵を閉ざした心の門が、主による平和と祝福を知ることによって、喜びの内に開かれる事となるのです。
それが、神さまの定められた「人の真実の姿」なのです。そして祈りによって、交わりの喜びの姿が与えられるのです。