ヨハネによる福音書 6章41~59節
高松教会 村上貴志
イエスさまは、「命のパン」であり、「信じる者は永遠の命を得ている」と、語られました。
また、「神がお遣わしになったものを信じる事こと、それが神の業である」と、語られました。
「しるし」を欲しがる人々に対しては、「イエスさまの元に来ること、共にいる事」を語られます。
イエスさまより、命のパンをいただくことを勧められたのです。
それは、神さまから遠いとされた人たちにも、語られました。神の国へと招かれたのです。
神さまの目からすると、全ての人が大切な「神の民」で有ったからです。
救い主が、神さまの国に招いてくださる。
神さまから離れるという「罪」を犯した人間にとっては、新しい命をいただく出来事でした。
更に、それは、朽ちる事が無い。永遠の命に至るのです。
神さまから遠い人をも、その中に加えられました。
イエスさまが、語られた事を、信じた人がいる中、信じる事の出来ない人たちが、明らかにされました。
しかし、イエスさまは、続いて語られます。
「わたしは命のパンである。」信じる者は、それに与る事によって永遠の命を得るのです。
「信じる」とは、律法や祭儀により頼む努力をするのではなく、主にお委ねする事です。
それは、天から降ってきた、全ての人の望みに与えられた喜びの可能性なのです。
信じる者は、誰でも。神さまの御心「一人も失わないで」。
選ばれた人たちだけではなく、選びより漏れた人たちだけでもなく、「世の全てを生かす命」として、イエスさまは、敵対する人たちに対しても、働かれたのです。
そして、そのために、「互いに受けいれ、愛し合いなさい」という、ヨハネによる福音書では繰り返し語られる言葉を教えて下さいます。
「渇くことの無い水・命のパン」という事から、聖餐に与る尊さを教えて下さったのです。