ルカによる福音書4章1-13節
高松教会 村上貴志
イエスさまは、「聖霊に導かれ」つまり、御霊に導かれて、この試練を受けるのです。
「三つの試み」①空腹の時の誘惑」飢えは、旧約時代沢山記されております。創世記・出エジプト記・民数記・ルツ記・サムエル記。「飢え」は、人の行動・歴史を動かすのです。
悪魔は、【ルカ3:8】である神の御子ならば、「石からパンを生じさせること。簡単だろう」と、悪魔は、挑発するのです。しかし、イエスさまは、【申命記8章3節】そう伝えるのです。
②「権力と栄光への誘惑」イエスさまは、答えられます。【申命記6:13】主を忘れないために必要な事。神さまは、祝されるために、イスラエルをエジプトから導き上がった。恵みを与えるために、この地に導かれた。既に栄光は、地に満ちているのです。
③「願いを叶えてくれる神を求めて見よ!」実りや子孫繁栄を求めて、土着の信仰に祈った歴史。繁栄を求めて、エジプトやアッシリアの信仰に。揺れ動く思いに、「信仰」という揺さぶりをかけます。
【詩編91:11-12】を用いて、誘惑するのであります。甘い誘惑であります。求める事に思いを向けると信仰の離反に繋がる。悪魔の巧みな誘いです。
しかし、「試みなくとも、神さまは、必ずその民を護って下さる。」そう悪魔に諭すのです。
試みられても【一コリ10:13】。主が助けて下さる【ヘブル2:18】試練に遭うと身を引いてしまう人にならないように【ルカ 8:13】
しかし、恐れるべきことは、悪魔が、御言葉(詩編)を用いて誘惑した事。御言葉で、人を惑わす。御言葉は、「神さまを信じる」ため「人を救う」ために、用いる事を、考えさせられました。「大きな力の誘惑に陥らないように!」御言葉を正しく用いることこそ、気を付けないといけない誘惑なのです。