高松教会 村上貴志
ネヘミヤ記 10章33~40節
イスラエルの背信。その罪は、祝福から離れる事に繋がった。イスラエルは、加護を失い、国を蹂躙され、神殿をも壊された。礼拝をする事も、「しない・行かない」ではなく、「行けない・できなくなった」のです。この重荷。耐えきれなくなった民は、神に回帰するのです。悔い改めて立ち返る。
「遅すぎる」歴史の評価・私たちの評価だと思います。でも、私たちも、過去のイスラエルと、何ら変わらない歩みのようにも思えます。人は、罪人。
裁かれるのは、神さまであります。では、神さまの判断は?人には、分からないのであります。
だから、神さまの前で、できる・最上の事を行おうと、主を覚え、実行しました。
ネヘミヤたち指導者は、8つの誓約をしました。
④番目の誓約「神殿奉仕のための献金」神殿税1/2シケル以外に、1/3シケル。合せて、5/6シケル?恐らくそうでは無く、2回に分けて納めるように。
つまり、献げ物をする機会を、「神殿に詣でて、神さまの前に、額づきます」と約束したのです。
神さまから遠ざかっていた民に、「もう一回」行く機会を増やそうとした。ネヘミヤたちの決意です。
⑤番目の誓約「民の執り成しの儀式のために献げる」⑥番目の誓約「神殿の務めをする祭司たちのために、献げる」⑦番目の誓約「初穂を感謝して、神さまに献げる」⑧番目の誓約「レビ人のために献げる」
ネヘミヤたちが、出した結論「神殿をおろそかにしない」それは、「大切に。整った気持ちで」では、無いのかもしれません。「身を清めて」では、無いのかも知れません。「相応しくってから」では無い。
であるから、「献げ物を」義務として。まずは、「主の御前に集まろう・自分の足で出ていこう・実行しよう」これを求めたのだと思います。良い報告も・悔い改めも、主が受け止めて下さる事を、信じて。