ヨハネによる福音書 3章1~21節
高松教会 村上 貴志
今日は、永眠者記念礼拝を皆さんと共に、守っています。
信仰を持って先に、天に召された兄弟姉妹がたを思い出し、その方々が、私たちに伝えて下さった事を、
もう一度、心の中に思い浮かべ、思いを一つに現す日でもあります。
ただ、両親や兄弟が伝えて下さった事を偲ぶのであればそれ程以前のものではないかもしれませんが、
祖父・祖母がずっとずっと昔に教えて下さった「神さまとイエスさまの話」であれば、
私の深い記憶の彼方に沈んでいるかも知れません。聞いたかも知れない。
いえ、確かに聞いた。
しかし、地上の出来事は、過ぎ去ってしまうものなのです。
聖書の中でイエスさまは、その事について述べられています。
「誰でも、水と霊とによって生まれなければ、神の国に入る事はできない。」
これは、神さまを信じ、今までの歩みを悔い改め、
神さまから離れて生活していた事(聖書では、それを罪と言います)から、
神さまと共に歩もうと決心する事を指します。
しかし、これには、「水と霊」の二種類があると言います。
「新たに生まれる。水だけではなく、霊によって」。
「霊によって」は、ニコデモにとっては、新しい教えでした。
それまでの時代、「霊によって」導く神さまから遣わされた方がおられなかったからです。
「霊による洗礼」導いて下さる、神の独り子による、十字架の贖いによる業によらないと、
誰もが、神の国への歩みは進められないのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」先に天に召された兄弟姉妹がたは、
自らが喜びに思ったこの御言葉を、私たちに伝えて下さいました。
「私だけが、…。」という時代に、「世の全ての人を愛して下さった神さまの思い。
信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この喜びを信じる人こそ、新しく生まれた者なのです。