ルカによる福音書6章46-49節
高松教会 村上 貴志
「家と土台」マタイ7章にも記されております。大雨が降り、洪水となった時。どう被害から逃れるのか?それを、水文学的に信仰的に述べるのです。マタイでは、「岩の上に建てなさい」と、語ります。古来の教え通り、神さまが、奉じられている丘の上に建てよ。それは「神さまの声をいつも聞こうとする事・神さまに聴き従う」という事。「しっかりとした、信仰の上に」そう教えたのです。
では、ルカ福音書では? 洪水の備えなのに、「深く掘り下げよ」盛り土ではなく、掘り下げよ。??
「何を削り取れ」と、言うのでしょう。注意深く読んでいくと、「岩の上に土台を置くために、削り取れ!」岩の上(神さまの教え)の上に、私たちは、自分の思い・世の思いを積み上げていると言う事。
6章の冒頭に記されているような、律法解釈の呪縛。「神さまのため、神さまのため」と、念じて、「人の義」を立てていく事・裁く事。こうしたら、神さまは、喜んで下さるであろう。その為には、こんなにも、正しく立派に!律法に。窮屈に。世の生き方をしてしまっている。平穏な時には、できても、いざ、有事と成れば、洪水となれば…。忘れて、倒れてしまう。神の家ではなく、世の家では、倒れてしまうのです。【ルカ5:36・38】世に盛り上げた・附け加えた思いは、神さまの思いと相容れない。
【ルカ6:46】主を求めながら、自分たちで、世の道を作り上げてしまう。それは、良い道とは、成らなかった。そこで、気づくのです。【ルカ5:39】
【ルカ6:48】で、語っていることは、「自分の目の中にある丸太を取り除け」と言うこと。そうすると、「兄弟の目のおがくずを取り除く事ができる」(6:42)共に、まっすぐ、主を見つめる仲間ができる事となるのです。そうすれば、私たちは、倒れる事のない信仰者となる事ができる事でしょう。