ルカによる福音書6章37-42節
高松教会 村上貴志
「他者に厳しい人」どうして、厳しい態度をとるのでしょう?①アドラー心理学「配慮と言うものを知らない」人。②自分が正しいと思っている人。③一生懸命努力している人④嫌がらせをしている人⑤ずっと虐げられている。嫌がらせを受けている。厳しく当たられている。我慢の限界を超えて、心が傷ついている人。では、その様な人にどう配慮・対応すれば良いのでしょうか?①④の人は、お互いに距離をとった方が、良いでしょう。②③の人は、相手が、言っている事は、確かに、正しい。厳しいですが、足らざる部分・怠けている部分に対して、あえて、意見を、していると思えないでしょうか?放っていても良いのに、相手の将来の事を心配してくれている。「正しくあれ!」ではなく、「罪の内に死なないように」と、思っているのかも知れません。自分が、悔い改め・立ち返り・励み。そして、他者に勧めているならば、主の報酬は、大きい事でしょう。
ですが、「小さな罪をも赦す事のできない正義」は、「もっと大きな正義」に、裁かれてしまいます。
【マタイ18章21節以下】◆「仲間を赦さない家来」を、参考にして下さい。「赦された」という思いが、大きければ、「赦す」という思いも、大きくなるべきなのです。「許す」という思いが、大きければ、「許される」と言うことも、大きいのです。ルカは、この後、3つの「目」の譬を続けます。正しく判断するためには、物事が良く見えて正しい道へと導く先生が必要です。もちろん、その方を、主イエスとするならば、憐れみに満ちた、救い或る判断が、出来る事でしょう。40節の譬え。「十分に修行を積めば…。なれる」ではなく、主が、私たちを、訓練して・変えて・整えられていくのです。お側に招いて下さり。「優しくも厳しい・厳しくも優しい」神の独り子・イエスさまの御姿を、知る事となるのです。