今の時代。この箇所。少しの時代ならまだしも、語りづらい時代です。この「夫たちよ・妻たちよ」という問いかけは、この箇所以外にも、エフェソ5章・第一ペトロ3章にも記されており、別に、批判する人たちが言うような人権抑圧の問題では有りません。むしろ、弱い立場の人たちを、守るように勧めているのです。【23節】神さまに対しては、謙り額づき、心から仕えようとする人は、周りの人たちに対しても、同じように接しなさい。「立場を通しての人間関係・個人と個人としてではなく、神さまを通して・イエスさまを介しての家庭関係・人間関係を築いていきなさい。」そう勧めるのです。
新しい時代に導かれる事。それは、「自由に仕えなさい」なぜならば、神さまの前で正しい人は、一人もいないからです。全ての者が、いろいろな形で、神さまから離れている。でも、その一人一人に、神の御子イエス・キリストが共に居て下さり、神さまとの間を執り成して下さっている。どのような状況であっても、イエスさまは、共にいてくださる。 この「不自由でない関係」を、家庭の中でも築くよう勧めるのです。
「仕える・従いなさい」主人と僕ではなく、神さまと私の関係を思って。「思いやる心」不満は、不満を呼ぶのです。不平は、不平を。怒りは、怒りを呼ぶのです。敵対するのではなく、憐れむ思い。
とるに足らない私を、暗闇の中より見出して下さり、救いに入れて下さった神さまの愛。自分の身に起こった事を、見つめ直してみる。イエスさまが、共に居て下さって、導いて下さり、招いて下さり、赦して下さった事。御子の命を、私のために十字架に捧げて下さった程、愛して下さった神さまの愛。
私たちは、見捨てられなかった。
だから、私たちも、行ってそのように行うのです。