高松教会 村上有子
マタイによる福音書 5章12~26節
十戒の1つに「殺してはならない」という命令があります。十戒を含む神様からの律法をイスラエルの人々は一生懸命守ろうとしました。しかし、本質を忘れて「守る」ことに一生懸命になり、勝手にルールを作り、そのルールを守れば自分たちは「十戒」を遵守している「義人」である、と誇っている人たちが現れました。それが、律法学者やファリサイ派の人々です。そこで、イエス様は、間違いを正しく導くためにお話しくださいました。それが、この箇所におけるイエス様の目的です。「十戒」は文字の通りのことは、もちろんですが、目に見えることだけを命じているのではなく、「心」のことも命じていることを人々に伝えているのです。ですから、イエス様は言われます。「殺す者」は「兄弟に腹を立てる者」と同じです。「全ての人が気の合う人で、苦手な人は一人もいません!」という人は、この世にはいません。唯一イエス様だけが人類全てを愛しているお方です。そのイエス様が愛する者たちに語り続けているのです。「地獄に投げ込まれる前に、あなたの兄弟と仲直りしなさい」と。そう言われても苦手な人、嫌いな人、とすぐに上手くやっていく術を私たちは持っていません。だからこそ、神であるイエス様が私たちのところに同じ肉体をもって、この罪に満ちた世に来てくださったのです。そして、私たちの「腹を立てる=心でその人を殺す」というと罪の代償をご自分の命で支払ってくださったのです。それが十字架です。この十字架ゆえに、私たちは殺す者から愛する者に変えられるのです。「兄弟を憎むものは人殺しです。…イエスは私たちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、愛を知りました。」【第1ヨハネ3:15】愛のないのは当たり前。しかし、イエス様につながっていれば、イエス様に似たものにされて、愛する者と変えられるのです。