高松教会 村上貴志 使徒言行録 27:9-12 ギリシャ語には、時間の流れを表す言葉が、二つあります。「カイロス:神さまの時間の流れ」と「クロノス:世の中の(人間の)時間の流れ」です。 神を信じる人は、「神の時間」を大切にするのですが、世の中で生きて行くには、神さまからのお言葉を忘れて、時間を進めてしまう事も沢山有るのです。 パウロは、ローマ伝道への備えの時を持ちます。ですが、季節は「断食日を過ぎた頃」でした。今の9月か10月。「大贖罪日」の頃でした。日本だと、台風の季節。地中海では、(9月~3月まで)風が吹き荒れて、大荒れの季節でした。 船が進まない季節。パウロにとっては、良い時・備えの時。でも、他の人は、異なりました。 この小さな港では、食料も水も。娯楽も無い。 だから、船乗りたちは、少し先。80㌔程先のクレタ島の大きな港まで移動したいと思いました。自分の事を思う「世の中の時」を求めていたのです。 しかし、この時は、備えの時です。「神さまが定められた時間なので、人の思いで行動しないように」と、パウロは語りました。「危険な判断だ」と警告するのですが、「世の中の楽しさを求める人たち」は、「この位大丈夫」と、取り合いません。 百人隊長も「神さまの時」よりも、「世の中の時・人の時」に従う事にしました。パウロが話す「聖書の時・神さまの時」を、信頼しなかったのです。 「船は、港を出るのですが、大変な事になる」と後には、記されています。 私たちの毎日もそうなのです。神さまは「毎日の時間を与えてくださっています。」 その時間を、神さまの導きに従って歩むのか? それとも、世の中の流れに身を任せてしまうのか? 教会・礼拝・パウロ・聖書・イエスさま・神さまは、いつも私たちに教えて下さっているのです。
2020
16Aug