使徒言行録 26:24-32 高松教会 村上貴志 「必ず起こる」と伝えられた、キリストの救いの御業。アグリッパ王にも、確認を求めます。 「知ってますよね?」エルサレムで。信仰の都で。 そして、この救いの御業が起こった場所こそ、世界の中心であるはずです。それを、知らない訳は有りません。知っている事だと、確信しております。 そして、王に矢継ぎ早に声をかけます。「預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」この声掛け。イスラエルの民には、大きな出来事を思い浮かばせるような声掛けです。 思い出すのは、「十戒」モーセがいただいた、神さまからの約束です。「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」(出エジプト20章) 「殺してはならない・盗んではならない・ならない・ならない」本来の意味は、そうでは有りません。 「私(神)が、これほどまでに、愛していて・思い尽くして、そ思いを受け止めて応えてくれたのに、…。他に、神々が必要なの?私に対して、誠実に歩んでいるのに、盗む事・殺す事が、必要なの?十分な物を手にしているのに、その様な事は、必要ないよね?」親が子を思うように、十分な物を与え、十分な守りの中にいれ、成長を見守っていく神さまの思いが、十戒には込められているのです。 アグリッパは、苦笑いしながら、答えます。「短い時間で、信じさせようとするのか(その役割を演じさせるつもりか)」と語ります。「王に、イエス・キリストの救いを伝えよと、申すのか」と。 「短い時間では有りません。長い時間、神さまは、あなたの事を見続けてくださています。信じているのならば、必ず、王の元にも、救いの喜びは訪れるのです!」と、パウロは、力強く語ります。 そして、イエスさまによって新しく約束された出来事は、全ての人にも与えられるのです。
2020
02Aug