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使徒言行録 19章11-20節
高松教会 村上貴志
パウロの時代。この頃は、イエスさまを信じる人たちの中に、大きな奇跡を行う人がいました。「霊的な賜物」聖霊の導きを受けた人は、「イエスは主である」と告白し、ある人には、「知恵の言葉・知識の言葉」話す力、ある人には、「病気をいやす力・奇跡を行う力」、ある人には、「預言する力・霊を見分ける力・種々の異言を語る力・異言を解釈する力」が、与えられていました。この素晴らしい力は、全て、イエスさまが神さまに願って下さり神さまから与えられる聖霊の働きによるものです。
そして、これらの力は、「全体の益となるため」教会みんなが、その時に必要としている力となるためだったのです。(第一コリント12章)
神さまを知る人・神さまの恵みの内にある人・神さまと共にある人。「この小さなお祈りを、イエスさまの御名によって、おささげします。アーメン」と、お祈りする人には、全部ではないかもしれませんが、このような素晴らしい力が与えられているのです。
どうしてかと言うと、お祈りをささげる人には、神さまとイエスさまが、一緒にいて下さるからです。信じる人には、神さまとイエスさまは、いつも一緒にいて下さるのです。
誰にでも、そんな力が与えられるのかと言うと、「誰にでも」なのです。イエスさまは、マルコ福音書9章で語られました。「試してやろう」そのような邪な思いで願った人でも、神さまとイエスさまのお力を現したならば、見たならば、その人たちは、「神さまとイエスさまが、一緒にいて下さっている素晴らしさ」を感じる事となります。そうすると、その人たちは、必ず「主の御名によって」願い、叶えられた人は必ず「主が共にいて下さる事」を、感じ・信じる事になるからです。
私たちも、信じるてお祈りする人となるのです。