マタイによる福音書 2章13-23節
高松教会 村上貴志
イエスさまがお生まれになった時、東方から占星術師がやって来ました。
博士たちは、星の運行から英雄(救い主)が生まれる事を予知し、手に入るあらゆる文献を調べました。
その中に、旧約聖書が含まれていたと思われます。
その伝承の中より、ミカ書5章1節とサムエル記下5章2節が、星のしるしに当てはまったと推測されます。
博士たちは、星に導かれユダヤの王・ヘロデの元に来たのです。
ヘロデは、王といっても傀儡の王です。
自分を脅かす存在を、排除しようと考えました。
ベツレヘム周辺の赤子を皆殺しにします。
エレミヤ書31章5節の預言のように。
この事は、大事件でありました。
沢山の母親たちが、悲しみの中に入れられました。
ヘロデの猜疑心・罪の思いが、町中の叫び声に。
町を外れた所、荒野においても、嘆きの声がこだまするのであります。
荒野とは、何も無い所。
静かな所。神さまの声を聞く所です。
その声が、聞こえる所で、母たちは、叫び声を上げるのです。
神さまに、願うために。
この叫び声が上がる時。
もう一つの預言・神さまの約束が、動き出しておりました。
ホセア書11章であります。エジプト。モーセとの関連です。
初代教会は、「最後の救済者メシアは、最初の救済者モーセに準じて現れる」という伝承を信じていました。
出エジプト記1章の出来事も関連していると。
「救いの歴史を、現すために。」マタイは、そう語るのです。
そして、「彼は、ナザレの人と呼ばれる」という言葉に、繋げます。
イザヤ書11章1節「ひとつの若枝が育ち」 の若枝(ネーツェール)に。
「切り倒された株(滅びたと思われる命)から、新しい歴史(命)が与えられる。」という事に繋がるのだと思うのです。
「荒野で叫ばれた声・嘆きの声・滅びを憂う声」は、この若枝、新しい歴史・命。
イエス・キリストを通して、始まるのです。