使徒言行録 6章8-15節
高松教会 村上貴志
「神殿を三日で建てる」この言葉は、福音書の中で、二か所出てきます。
ヨハネ2章。宮清めの時、「どのようなしるしを見せるのか!」と、ユダヤ人が詰め寄るに語った言葉です。
もう一つは、イエスさまを十字架にかけようとユダヤ人たちが謀った時に出てきた証言です。
「46年もかけて造られたのに、たった三日で」と。彼らは、赦す事がでません。
しかし、主の御栄光は、既に現されていたのです。
十二歳の少年イエスに。【ルカ2:46-49】
探し始めて、三日の後。神殿で祭司や律法学者が語るあらゆる教えを超える神さまの御業を、少年イエスは、語っていたのです。
この時に、建物としてのエルサレム神殿は、その用を終えていたのかも知れません。
神さまの新しい約束が、地上に与えられました。
この大きな喜びを、教会に集う人のお世話をするために選ばれたステファノが語ります。
彼は、教師では無く、執事として立てられてものでした。
しかし、神さまの選びは、人を支える奉仕の業を越えて、支えるだけでなく養う言葉を語らせる人として下さったのです。
人々を支える喜びの奉仕をさせていただく源。
喜びの源が、主の御業である事を、知っていたのです。
難しいことでは無く、ただ、与えていただいた喜びを語り続けるだけ。
自分という器に、それを越える溢れんばかりの恵みを入れて下さった事。溢れた恵みが自然に周りに広がっただけ。
世は、反発します。【ルカ21:12-13】
それは、過ちを明らかにし、主の思いが満ちるためなのです。
そのために、知恵と言葉が与えられました。【ルカ21:15】
主のお言葉が、広がるように。
この喜びを伝えるためには、46年・3日?「主の十字架の前で悔い改めと赦しを願う人は、直ちに」であります。
主に用いられた全ての人が、「その顔はさながら天使の顔のように見えた」(15節)であります。