ヨハネによる福音書20章19~31節
高松教会 村上貴志
イエスさまの甦られた日。
弟子たちは、「不安でしょうがない。恐ろしい。」迫害する人からは逃れられたとしても、弱い思いから逃れることから出来ませんでした。
「誰かと一緒でなければ、思いが保てない。」そう思うのです。
「不安や恐れ」とは、神さまからの距離が遠くなったことを示しております。
弟子たちを、護り導いて下さった方は、おられないのです。
そんな状況にあって、どうする事も出来なくなったと思った時。
人は、「神さまに依り頼む以外にはない」そこに立ち帰るのです。
祈ることしか、出来ないのです。
どうしようもない状況に置かれた時、弟子たちは、教会は、「主よ、共にいて下さい」と、願い、集まるしかなかったのです。
「甦られたイエスさま。再び、私たちと共にいて下さい」と。
自ら逃げてしまった者であるにも関わらず、それ(祈り求めること)しか、出来なかった。
その切実な真剣な祈りの中に、約束された通りの救いが現されました。
祝福が失われた弟子たちに、再び、祝福の手があげられ、向けられたのです。
神さまから離れていた弟子たちに、神の御子が近づいて来て下さったのです。
「あなたがたに平和があるように」。
神さまから離れた人たちが、神さまと共に。
「離れたという罪」の赦しが、与えられたのです。
約束された通りの「救い」が、実現されたのです。
主は、励ますために、「主の働き」への派遣を命じられます。
「息を吹きかける」は、「聖霊を送り、聖霊を受けさせてくださる」主が、送られ、主が、受け取らせてくださるのです。
「あなたでは無い。神の御子キリストが、あなたたちを罪の世界から贖い、派遣するのだ。あなたの力では無く、神さまの祝福の中、あなたによる福音の栄光が地上に現される事になる」そう、力づけられるのです。
アダムのように息(命)を、吹き込まれて。