イザヤ書 57章14~19節
高松教会 村上貴志
礼拝堂の蝋燭も5本灯され、待ちに待ったクリスマス礼拝を、迎える事が出来ました。感謝です。
今日の聖書の箇所は、信仰の課題について語られております。
イスラエル(神さまが、励まれ・統治される神の国)は、神さまを見失い、神さまに委ねる事を忘れ、他の国々の神々を拝むようになり、イスラエルでは、無くなってしまいました。
「祝福と導き」神さまからの大きな護りを拒否したユダヤの民は、全てを失ったのです。
イザヤは、そのような人たちに、「まことの神を忘れたのだろうか?」と、問いかけるのです。
イザヤは、信仰を持つことに反対はしませんでした。
ただ、まことの神さまに向かって正しい道を進めと、語ったのです。
「土を盛り上げて道を備えよ」古い誤った道の上に、まっすぐに、躓くことのないように、新しい道を、敷くのです。
誰もが、通る事の出来ように。
この大きな・まっすぐな・平らな道が。
誰も迷う事の無い圧倒的な大きな道が、どこへ続くのか。どなたが、備えて下さったのかを、感じるために。
そして、恵みの驚きの中、「知った者全てが、進む事の出来るように。」と。
私たちを愛され導かれ救われた神さまへの信仰。
「神さまが、私をどう、祝してくださったか。」
それを、覚える事が、大事なのです。
「道」は、切り開いてくものでは無く、私たちの目の前に有るのです。
その道を歩む時には、困難は有りません。
あらゆる障害の上に、新しい道を盛り上げて造られているからです。
そして、重荷が有るのであれば、代わって背負ってくださる方がおられるのです。(委ねる思いが有るのならば、…。)
自らの高ぶりを捨て、委ねる思い。へりくだる思いが有るのならば、その道を進む事こそ、神さまの国への歩みとなるのです。