ヨハネによる福音書 12章44~50節
高松教会 村上貴志
今日は、永眠者記念礼拝を皆さんと共に、守っています。
信仰を持って先に、天に召された兄弟姉妹がたを思い出し、その方々が、私たちに伝えて下さった事を、もう一度、心の中に思い浮かべ、思いを一つに現す日でもあります。
「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである」
招いても、招いても、来ることのできない民を、神さまは深く思ってくださって、その独り子イエス・キリストを、救い主として与えて下さいました。
人々は、自分たちの罪のために、その贖いのために、十字架に付かれたイエスさまのお姿を見ました。
そして、赦されて、甦られたイエスさまのお姿に出会いました。
「赦されて」私のような者もが、神の御国に招いていただいている事を知り、喜びの思いに満たされたのです。
そして、イエスさまからの言葉をお聞きしました。
「全ての人に福音(神さまからの良き知らせ)を、宣べ伝えよ」
「全ての人が、イエス・キリストの救いの業に入れられた」事を、その事を知らない人たちや、気づいていない人たちに告げるように命じられたのです。
このイエスさまの言葉こそ。世を照らす大きな光でした。
神さまと人との関係。
人から離れる事を選んだ状況でした。
戻る力も無く、資格も無く、その行く道には、閉ざされた大きな門が、行く手を阻んでおりました。
その閉ざされた扉が、向こう側からこじ開けられたのです。
人の氷った思いを溶かすような、教えと御業が現されたのです。
人は、その扉の小さな穴より、その御業を見させていただきました。
そして、そこから、「しるし」だけしか見ないのではなく、遣わして下さった神さまの姿を見るようにと、語りかけて下さったのです。
キリストの弟子たちは、その喜びを伝えていくのです。