ヨハネによる福音書 3章22~30節
高松教会 村上貴志
神さまは、天地創造の時アダムとエバを造られ、地上を治めるように命じられました。
人は、神さまの命じられるままにそれを行うのではなく、神さまからいただいた相応しい
賜物に応じてその業を行うようになりました。中には、その歩みに相応しいとは思えない
人もおりました。その人たちは、神さまに聞く事・従う事を、忘れてしまった。
また、神さまからの示しが理解できなかった時に、祈りの対話によって明らかに示されるまで、
導きを待ち続けることが有りませんでした。その様に聞こうとしない者が、地に増えた時、
ノアの洪水が起こりました。神さまに聞き従う人たちは、箱舟で新しい歩みへと導かれたのです。
神さまを信じる民が、その契約と共に有る時、イスラエルは、祝福されました。
どのような困難な状況に陥った時にも、神さまの祝福が示された時には、乗り越える事が出来ました。
しかし、その様な神さまと共にある歩みは、また、長くは続かなかったのです。
神さまからの賜物を受けて、神さまの使命を果たすように。神さまからのこの命令、…。
賜物を受けることによって、大きな力を手にする人間にとっては、…。大きな力を持つ故に、
神さまに立ち帰る事が、難しかったのかも知れません。神さまよりも、自分や自分たちを、
高く持ち上げたのかも知れません。
神さまは、ノアに約束された通りに、この時も、人に滅びを与えることは有りませんでした。
そして、滅びに値する私たちのために、新しい約束を与えて下さいました。
「神さまの独り子であり、神さまでもある、イエス・キリストによる救い」大きな御業が与えられたのです。
地上に与えられた古い約束に対して、新しい約束が、行われた時、…。
実は、人の信仰も大きく変わり始めたのかも知れません。
人の栄光を現すためではなく、主の栄光へと導く働きに賜物を用いる喜びに満たされるのです。