ガラテヤの信徒への手紙 3章21節~4章7節
高松教会 村上貴志 牧師
パウロは、この手紙で、「律法」について、丁寧な説明を行いました。
ユダヤ人にとって、与えられた「神さまからの約束」だと思っていた「律法」。
信仰の養いであり、指針であり、柱だったのです。信仰の中心的なものであったのです。
ですが、それを、…。
「捨てなさい」とは、パウロは言わないのですが、「神さまにお返ししよう」と、語るのです。
大切であっても、その役割が終わったのだから、「神さまにお返ししよう」と。
それを聞いた人の中には納得しきれない人たちも、沢山いました。
その人たちに対して、パウロは、語ります。
「時が満ちると」神さまがお約束された、時期が来たのです。
神さまの御計画が、成就するときが来たのです。
神さまの定められた計画が、明らかになる時が来たのです。
神さまが、預言者を通して、ユダヤの歴史を通して、約束されていた事が与えられる時が来たのです。
神さまは、「全ての人に対して、共にいてくださる祝福の約束を、アブラハムを通して行われました」
神さまは、この先に、「そうしてくださる」と、内緒ではなく、全ての人が知るようにと、公に告げて下さったのです、
「約束の公告」が、与えられたのです。
新しい約束の前では、「律法」は、無意味で有ったのでしょうか?
「福音(キリストの救いの良き知らせ)」と、「律法」とは、矛盾するものだったのでしょうか?
「人は、律法の下で監視され」その意味している事は、
神さまが、私たちが、「神さまから完全に離れるという残念な事。
罪に完全に支配されないように、私たちの心の中と信仰のうちに、強い防衛ラインを築く」と言うことなのです。
完全な救いがイエスさまによって上に現れるまで、神さまが、「律法」により、一人一人を守ってくださっていたのです。