ヨハネの手紙Ⅱ 1~13節 高松教会 村上貴志 ヨハネ教団の指導者である長老から、イエス・キリストの花婿と呼ばれることも有る「教会」へ。 「父なる神さまの大いなる憐みによって、イエス・キリストによる十字架の贖い・救いの業に与った人たちは、いつも、神さまとイエスさまと共にあります。神さまから離れた…
ルカによる福音書 2章22~39節 高松教会 村上貴志 イエスさまの両親のヨセフとマリアが「ユダヤ教の律法・習慣に則って、神殿に詣でた事」神の御子でありながら、市井の人たちと同じ定めを行います。救いを必要としている人が感じる事ができるように。 神さまの御計画は、進んでいるのです。神さまとア…
ルカによる福音書 2章8~20節 高松教会 村上貴志 イエスさまの御誕生を待ち望む季節。降誕節・アドベント4週目となりました。「アドヴェント」という言葉は、「救いの主の到来」というラテン語です。 礼拝堂に飾られている蠟燭。毎週、一本ずつ灯されます。それぞれが神さまの祝福を現しております。一…
ルカによる福音書 1章46~55節 高松教会 村上貴志 ルカによる福音書にだけ記載されているイエスさまの母マリアの祈り。その身に有り得ないような約束が与えられたにも関わらず、「神さまを信じる」ただ、それだけで受け入れ感謝する祈りであります。 「マリアの讃歌」と呼ばれている祈りです。旧約聖書…
ルカによる福音書 1章26~38節 高松教会 村上貴志 「お言葉どおり、この身に成りますように」教会では、毎年繰り返し聞いてきた言葉です。 もし、私のところにマリアのような御旨が与えられたら。 果たして、私は「この身に成りますように」と、答えることが出来るでしょうか? 私なら…
ルカによる福音書 1章5~25節 高松教会 村上貴志 日々の生活の中で、「なんとなく、上手くいっていない気がする。何か気のせいなんだろうけど、人の目が気になってしようがない」という事は無いでしょうか?ザカリヤの心情は、そうであったかもしれません。神殿の奉仕。相応しい人が、信託によってくじで選ばれ…
ヨハネの手紙Ⅰ 5章1~20節 高松教会 村上貴志 「神さまから生まれた者」は、全て永遠に続く広がり・永遠の命を持ちます。もちろん、地上での命には限りが有りますが、地上での役割を終えた後にも御国において祝された喜びの歩みが備えられているのです。それは、「信仰」が、神さまから出ているからです。「神…
ヨハネの手紙 Ⅰ 4章1~21節 高松教会 村上貴志 収穫感謝。礼拝堂の前には、献げられた沢山の収穫物があります。神さまより豊かな物をいただいております。でも、私たちは、満たされているけれど、…。世界中には、お腹を空かしている人が何億人もいるのです。持つ者と、持たない者との違い。神さま、どうして…
ルカによる福音書 19章1~10節 香川豊島教会・香川直島伝道所 福田哲牧師 この箇所は、福音、よき訪れを端的に示しています。すくわれる側(ザアカイ)が上にあり、救う側(主イエス)が下にあるということだからです。私たちは救われるものが下にあり、救うものが上にあると考え、一生懸命努力して、精進して…
ヨハネの手紙Ⅰ 3章11~24節 高松教会 村上貴志 「愛を知る。互いに愛し合う」ヨハネ教会の信徒たちに、「今更」何を伝えようとしているのでしょうか?教会に集う人は、「初めから知っているのです。自分たちが、神さま愛を受けている事」を。主が、値の無い自分をも、愛して下さった事に気付いたならば、出来…