ヨハネによる福音書 5章 31~40節
高松教会 村上牧師
クリスマスの礼拝・燭火礼拝・キャロリングと、祝されて守る事が出来感謝でした。
また、今年は、大島を含め4か所で訪問聖餐の恵みに与る事が出来ました。その事をとても感謝しております。
ヨハネによる福音書では、今日お読みしていただいた箇所の中に、「とても、大切な言葉が記されている」と、
されています。 【 39節 】
これは、「聖書に記されている福音は、イエスさまが神さまに願って送って下さる聖霊の働きがなければ届かない。」
という事を、伝えているのです。
人にとって、良い事が語られたから、心地良い言葉を述べられたから、信じて受け取ったのではない。
実行できる言葉であったから、共感したのでもないのです。
「神さまを信じた」そう告白する人たちに、イエスさまは、問いかけられます。
「あなたたちは、自分の内に父のお言葉を留めていない」
受け取った御言葉が、なぜ、私の内にとどまっていないのでしょうか?
それは、私の内にそれ以上に大事だと思っている「正しい私」がいるからです。
「『私の行動こそが、最上の証し』と、思う私に、キリストの業に与る赦しが有りますか?」と、
イエスさまは、問いかけられたのです。
私にとって、「すべてにまさる証し」とは、何でしょうか?
イエスさまの語られた、「あなたたちが、救われるためにこの事を言っておく」と言われた事。
それは、4:38「あなたがたが自分で労苦しなかったものを刈り入れるために、…。
あなたがたはその労苦の実りに与っている」ということです。
何の資格もなく、何の栄光もない者が、キリストの業によって神さまの働きに参与できた。
教会は、それを、「御霊によって導かれた信仰の証しである」と、告白するのです。