ルカによる福音書8章1-15節
高松教会 村上貴志
広大な畑で、盛大な種蒔き。それが、「信仰の種蒔き??神さま!?もうちょっと丁寧に種蒔いて下さらないのでしょうか?」と、思ったりするのですが。
あらゆる場所に種が届くように、遠くの遠くまで、撒き散らすのです。一人も漏れる事が無いように。あらゆる場所に、神さまの思いが届くように。
その結果。「①道端で芽が出ず②石地で枯れ③茨の中で伸びない」種も出てきます。しかし、「それ以外は、育っている」と言う事なのです。「育つ可能性を見越して・期待して、神さまは、信仰の種蒔きをされているのです」では、どうして、全てが実ら無いのでしょう? 私たちは、いろいろな夢と希望を抱きます。
①地上の権力に身を委ねる。神さまへの思いは、必要ないですね。「悪魔が、回収」します。
②感謝の思いが、無い!常に呟く。出エジプトの旅のように。御利益信仰。「根がないので」高台の異教の神々の所に行ってしまいます。根が無いから、信仰は、枯れるのです。
③思い煩いに覆いふさがれて。最後まで、信じない人。迷ってしまうのです。
④主と共に歩む人は、百倍の実を。想定以上。当時の常識は、60倍。人が思うよりも、1.5倍以上の恵みが、切り良く与えられると言うのです。
これらの事は、「求めた人」に与えられるのです。
10節には、「求め続ける人には、真実が!」
この信仰の種は、あらゆる場所に!私たちの周りにも!蒔かれていると言う事です。「忍耐して待つ」
①道端に落ちた種は?この会堂の私の隣に座ってもらおう。②石地の渇いた土地で根を張らない種には?共に、御言葉の栄養をいただこう。③茨の中の種には?教会には、豊かな祝福の証しが溢れています。分かち合おう。④百倍の実りを、私たちの周りで目の当たりにすることを、信じます。 愛する人・関わる人全ての人の救いを祈りましょう。