高松教会 村上貴志
ルカによる福音書1章26-38節
アドベントの第2週となりました。二本目の蝋燭。この蝋燭は、「御使い、平和」です。神さまより伝えられた、全てにおける「平和」を、信じます。
「神さまは、恵みを与えて下さった」これは、私たちも感じる事です。「神さまから離れた」という罪に対して、掟を守りきる事など到底できず、むしろ、神さまに対して悪を繰り返すような人のために、神さまは、その独り子を地上にお与えになられた。そして、私たちの罪を代わって受けて下さり、取り去って下さった。御子を、十字架の上に渡された。
神さまから離れた人間は、この恵みによって、失うべき命を永らえ、信じる事によって、永遠の命を与えられた。これほどの大きな恵みを、いただいた。私たちは、感謝な出来事であります。傍観的ならば。
しかし、直接的に、この神さまの御業に、向かい合った人は、マリアは、どうだったのでしょう?
古い慣習。結婚する前に、女性が他者の子を宿していたならば大問題でありました。(天使との)状況を、周りは・世間は、理解することができません。掟に従えば、「姦淫の女」のように、石打の刑です。
「おめでとう・恵まれた方・主があなたと共におられる」と言われても。現実は、困惑。恵みと言うよりは、無かった方が、良いとも思える出来事。
【31~33節】と、言われても、将来が来るとは、思えない。 「なぜ、私のような者から?」
告げられた事は、大きい。大きな恵みであります。しかし、現実には「受け入れる事が、出来ない。」
このギャップ。受け入れる事ができるようになったことが、神さまからの恵み。「神にできない事は何一つない」(37節)この言葉を、心に留める事ができる事が、信じる事ができるようになる事こそが、「マリアが、いただき、そして、私たちもが、いただいた、神さまからの恵み」だと思うのです。