高松教会 村上貴志
ネヘミヤ記 6章1~19節
罪の思い。神さまから離れた人の思いは、とてもおぞましい物です。ネヘミヤは、神さまを信じ、神の都エルサレムに、神殿に続き城壁を整備しようとしました。神さまから離れ、異国の神々に仕え、祝福を失ったイスラエルの悲しみを知っていたからです。そして、その悲しみは、嘆きへと変わっていく。それは、悔い改め・立ち返りの歩みでした。
しかし、変わらず、神さまから離れ、人をより頼む・他の大国を頼る・庇護の中に安心を見つける人たちも多くいたのです。神さまから離れた罪の思いは、尊い思いを攻撃いたしました。 しつこい! 陰湿! 神さまから離れるという事は、このような事なのかもしれません。ヨブ記で、試みたサタンの回数と同じ。 5回目には、開封した手紙と共に。周りの人々にリークし、巻き込んで、窮地に陥らせようとする陰謀。 しかし、ネヘミヤは、屈しない。共に歩む信仰の友を信じていました。神さまの護りを信じていました。【ルカ9:54】のように、「敵対者を滅ぼして下さい」とは、願わないのです。ネヘミヤの言葉は、「神よ、今こそわたしの手を強くしてください。」(9節)私に勇気を与えて下さい。 神さまへの更なる信頼を与えて下さい。「敵が、…。」ではない。「私自身に、信じきる思いを与えて下さい。」神さまを、そして、このエルサレムで共に働く仲間を。「神よ、…。強くして下さい…。」ネヘミヤの祈りの言葉を聞いた人たちから、この思いが、敵対者たちに伝わりますように。
「手を強くして下さい・勇気を下さい。神の平和が与えられるまで、耐え忍び、救いを待ち望む。その信仰を与えて下さい」そう願うのです。この歩みを、「わが神よ、覚えていてください」この祈りを持って過ごしたネヘミヤたちは、恐れを平安に変え、主の御業に没頭したのです。