高松教会 村上有子
マタイによる福音書5章33~42節
日々の生活の中で「誓う」という行為を、そう頻繁に見かけたり、行ったりしないと思います。しかし、教会においては厳粛な約束を交わす時、洗礼式、転入会式、役員・CS教師任職式、牧師就任式、会堂奉献式など、誓約をするということが少なくないと思います。
しかし、イエス様は、「一切誓いを立ててはならない」と言われました。そうは言っても、聖書には、神ご自身が誓いを立てておられる場面が結構あります。でも、イエス様の発言には、きちんとした理由が有ります。当時の人々はたいして重要でないことにおいても「誓い」をたてて、安易に約束を交わそうとし、簡単に破っていたようです。自分の言葉だけでは信頼を得られないと思う時、何かを指して、何かを立てて、誓約をもって約束を取り付け、誓約を軽いものにしてしまっていました。
「誓い」について、詳しく記してある箇所があります。ヘブライ人への信徒への手紙6章を是非、お読みください。
では、イエス様の真意は? 「はい」は「はい」。
「いいえ」は「いいえ」としなさい。イエス様の者とされた者は、誓う必要はほとんどない、嘘はないはずであり、補強したり、装飾したりする言葉もいりません。「単純な正確さを自分の言葉とせよ」ということです。 日常の会話、日頃の生活において、いつも真実を語ることを求めなさい。 事実をそのまま述べるということではなく、その中にある神様にあっての真理が時に隠されてしまっている状況があります。聖霊の宮である私たちの発言を全て聞いておられる聖霊を悲しませないように!その真実なる語り合いを通して、宣教の御業は実を結んでいくはずです。