高松教会 村上貴志
ヤコブの手紙 4章1~10節
争いの原因。「人の欲望が、原因」とされています。そうでも有り、そうでも無い。「神さま、どうして」
異なったり平等で無かったりするのですか?
同じ方が、心配しなくて良く安心できるのに、…。でも、その世界で、私たちは、幸せですか?
教会学校の創世記の話しで学びました。「神さまは、思う通りに動く人間ではなく、それぞれの個性・自由を与えて下さった」世界に78億人の人間がいれば、78億通りの人生があり、それを許された神さまは、78億通りの方法で、人を愛して下さっている。 どれだけ! 神さまは、人の事を思って下さっておられるのでしょう? とてつもない情熱的な思いで、神さまは、私たちを愛して下さっている。
同じじゃない。時に、競い合う個性や、誘惑に陥る弱さをも、認められている。神さまが与えて下さった自由の中で、どの選択の道を歩むのでしょう?
指針は、あるのです。【箴言3章34節】
主は不遜な者を嘲り へりくだる人に恵みを賜る。
神さまが、背く事をも内在しながらも、与えられた自由の中で。その異なる姿をそれぞれに愛して下さっている世界で。その神さまが愛された友と、争う事は、神さまの思いと異なる事では無く、…。「神さまは、その全ての人を愛しておられる事」を、知るためなのかもしれません。
神さまの大きな愛を知る。今現在の、78億通りもの、(私以外に注がれる)愛を貫かれる方の思いを、「私は、ねたむ!」そして、知る事となります。「ねたむほどの愛が、私にも向けられている事を。私が、その愛の中に入れられている事を」その愛の中に。神さまの思いの中で、愛されて生かされている私は、この言葉に耳を傾けます。【7〜10節】この10の命令に耳を傾けます。争いの原因は、神さまの愛を知るため。 友の愛を知るためであるのです。