高松教会 村上貴志
ヤコブの手紙 4章11~12節
「不平」や「不満」無い人は、恐らくおりません。
それを、跳ね除けるためには、不満をぶちまける! 相手を中傷する!最も手っ取り早い方法です。
徹底的に。自分が勝つために。相手は、実際の家族であったり、神の家族である兄弟姉妹にまで、広がっていきます。言い争いながら、和解していく事は、とても、難しい事です。相手の事など考えないからです。(その人も、神さまがお造りになられた。友であり隣人であるのに)神の思いを蔑ろにする。
【レビ記19:13-18】これらを守っていない状況。
でも、しょうがないのです。自分の生き方を守るためには、どこかに、不満のはけ口がないと、貯めずに、悪口として吐き出さないと、苦しいのです。
その思い。神さまにぶつけてみませんか?真剣に!
そうすれば、きっと、目を離していた神さまの事を、もう一度、見つめる事が出来るようになるはず。
神さまが、共に愛して下さっている神の家族やこれからそうなる人に対して、「神さまが友・隣人とされる」その定めに反して、神に反する悪口を、周りに吐き出すより、隣人を裁くより、神さまに対して、悪口を、投げかけてみれば?
それほどまでに、大きな不満・悩み。そうまでしないといけない状況。神さまの視線の中で。神さまと相対して。叫び声を上げる! 怖いですね。
怖いから、目を伏せて、うつむいて、やけくそで、神さまに申し立てしてみれば、神さまに向かって。
そうすれば、必ず「目を上げなさい」との、声を聴く事となるでしょう。そして、その視線の先には、イザヤ書53章「苦難の僕」
イエスさまのお姿・言葉が、私たちを、待っていて下さっているのです。