使徒言行録 23:12-22
高松教会 村上貴志
不思議な出来事が起こります。神さまへの熱心が、「優しい事・平和な事」ではなく「争い・テロ」へと向かうのです。受け入れたくない出来事が、真実なのです。イエス・キリストの歩みが、この世の光である事を、受け入れたくないのです。 しかし、神の道は、歩みたいと思っている。 光の道イエスさまを否定する以上、ユダヤ人は、闇の道を進む熱心しかなかったのです。「40人以上」聖書的には、「無限の・上限の見えないくらい多い。ほとんど・ユダヤの世」が、企みに加わったのです。 それしか、「救いは、神の道は、無い」と、思っていたから。 それが、信仰的だと思っていたから。 救いと恵みは、イエスさまから出るものなのに。 マタイ16章「ファリサイ派とサドカイ派のパン種」を読むと、パンを持って来なくとも、私たちが準備・努力し無くとも、イエスさまが、備えられている事が、語られております。「私が、何とかしなくては」これは、信仰の薄い事・不信仰なのです。 「信仰が薄い」繋がりでイエスさまの言葉を思い出すと、マタイ14章では、この世の思いに苛まされるペトロに告げられる。マタイ8章では、主が御一緒なのに、嵐の中で怯える弟子たちに、語られる。 マタイ17・6章では、大きな力・恵みが与えられている事が告げられる。 神の道を進むために、横道にそれる事は、不信仰なのです。【第二コリント6:15】不信仰をもって、神さまに仕える事は出来ないのです。救いはキリストのみなのです。【ヘブル3:19】 力で救いを勝ち取るのではないのです。【ローマ11:23】「再び」赦されるのです。信じる者には。】 このようなキリストによる救いが有るのですから、 「世の思いの言いなりにならないでください」と、若者は、伝えるのです。