ルカによる福音書 1章46~55節
高松教会 村上貴志
ルカによる福音書にだけ記載されているイエスさまの母マリアの祈り。その身に有り得ないような約束が与えられたにも関わらず、「神さまを信じる」ただ、それだけで受け入れ感謝する祈りであります。
「マリアの讃歌」と呼ばれている祈りです。旧約聖書サムエル記上2章のサムエルの母「ハンナの祈り・讃歌」のように祈られていると言われています。「祈り」誰かの祈りは、知る事によって信仰者に大きな影響を与えるのです。マリアの祈り。まず、自分自身の喜びを告白します。「自分の全存在で」神さまに対して、「私は仕える者です。何でもお語りください。どのような事があっても信じます」と。「取るに足らない者をも見ていてくださった」その事は、マリアにとって、大きな喜びでありました。「みんな見て下さい。聞いてください。私に与えられた、この神さまからの祝福を。」それは、私だけの物では無く、周り全てに。「私だけの最上・幸福では無く、全ての人にとっての祝福。私を通して周りに分けられていく恵み」をも含んでいると言うのです。
6章21節に記されているように「約束通り、満たされる」のです。「神さまから一方的な愛」私たちの思いの向きは関係なく、神さまが私たちの方を見つめて下さっているのです。「背く者」に対しても。マリアは、信じる事によって、大いなる幸いを得ました。「おめでとう。恵まれた方。」神さまは、51節「その腕で力を振るわれ」全力で。「唯一の御子を十字架に架けられ、陰府に落とされる程に」
私たちを、そこから贖いだして下さるために。「その事を信じますか?」自分自身を信頼できない私に問いかけられているのはこの事です。誰を信じるのか?「神さまだけではないのか!」
「信じる幸い」が、取るに足らない私を、今も、待っているのです。