ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節
ネルソン橋本ジョシュア諒 伝道師
(多度津教会・四国学院)
聖書日課から、この手紙の結びの直前の箇所が与えられました。「キリスト者としての普遍的な生き方」に深く関わる内容がここに綴られていると感じました。1つの場所や時代には限定されない、信仰者のあるべき生き方、私たち一人ひとりが持つ弱さを注意深く明らかにしつつ、霊の導きの中で愛の実践を続けていく歩みへと励ましてくれています。教会は様々な弱さを持ち、罪を持つ人々の集まりであると同時に、神様の赦しを受けた「新しく創造されて」この原理に従って生きる集まりでもあります。
霊に導かれて生きていても、誰もが道を踏み外してしまう弱い存在です。「嫉妬や利己心」心の余裕を無くす時に、不注意な瞬間に、過ちを犯します。自分の利益だけを考えて、生きてしまう。
でも、「柔和な心」を持って、お互いを支え合っていくのです。まさに「主の祈り」で生きる事が試されます。「ひとかどの者だと思う人」は、自分自身を欺いています。「自分の重荷を担う」のです。誇るのは、「主の十字架のみ」。贖われているのです。
神さまの恵みによって生かされていることを知れば知る程、「柔和な心」が私たちの内にも育ちます。
重荷「互いに」と「自分の」。矛盾は?自分の行動に責任を持つのです。行いを吟味するのです。自分だけでなく、弱さに寄り添って生きる。互いの課題を共有していくのです。そのようにして「キリストの律法を全うする・隣人を自分のように愛する」私たちの救い主は、この愛を体現したのです。愛によって「互いに仕えて」行く時、キリストが示した愛が私たちの間でもより現実味を帯びていきます。
そして、それぞれの賜物を発揮していく。今、与えられている人生が永遠の豊かな命となります。
教会が内向きにならないように・排他的にならないように「善を行う」。 パウロのすゝめです。 (要約:村上牧師)