ルカによる福音書6章17-19節
高松教会 村上貴志
「イエスさまから力が出る」具体的な記述は、ルカ8章にも同様な記述が有ります。求める人が居た。イエスさまは、「山から下りて平らな所」人々の元に来て下さいました。喜んで、そこに向かわれ、本当に求めるものを・必要なものを、恵みとして与えて下さったのです。求める事に飢えていた人に。言葉では、足らずに、「何とかして触れようとした」(19節)そこまでして、求めて来る人たちに、「イエスさまから力が出た」(19節)与えられたのです。
どのような力であったのでしょうか?他の箇所では、「聖霊の力」(ルカ4:14)まだ、高い所に行かれていないイエスさまは、「父なる神さまに願って、聖霊を送る」と言う時が、来ていない時だから、一緒にいて、力を与えて下さったのです。この力は、「聖霊の力」。最早、与えられている。それを思うと、ヨハネ20章「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」イエスさまが、聖霊の助けを受ける事を知らなかった人々のために祈って、力を出されたように。聖霊を受けた私たちは、まだ、救いに与っていない人のために、祈る。そして、その祈りが、必ず、大切な人への救いの道に繋がるのです。
ヨハネ20:21「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。主は、聖霊の力を送って、私たちを、遣わされた。私たちが愛する人たちの元へ。
求める人々に力が与えられる時、主は、その事を覚えて祈って備えておられた。同じように、私たちが、遣わされることも、主は、覚えて祈り、そして、備えるだけでなく、「力を与えて下さった・聖霊を送って下さった」今も、主から、「力が出ている」